文春オンライン

「日本は政治的“ピグミー”だ」ロッキード事件の裏側で田中角栄への侮蔑を重ねたリチャード・ニクソン

『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』より #1

2020/10/30
note

日米関係見直しを二度指示した大統領

 ニクソン政権は、日本に対してどう対応すべきか、分からなくなっていたようだ。

 田中政権の日中国交正常化は米国側にしこりを残した。対日外交は何とかならんか、という気持ちになったのだろう。

 ニクソン政権は「対日政策」の見直しを指示する、同じテーマの「国家安全保障検討メモ(NSSM)」を1971年4月15日、さらに約2年後の73年3月7日、と続けて発出した。

ADVERTISEMENT

 前者(NSSM122「対日政策*4」)では、「日本の国際的役割に関する日本の態度変化」「米中関係の展開の影響」など、国際環境の変化をテーマにしていた。

*4 Federation of American Scientists, Presidential Directives and Executive Orders, Nixon NSSM 122,Policy Toward Japan,(2019年11月26日アクセス)

 後者(NSSM172「米国の対日政策*5」)では、「対日関係をめぐる米国の基本的国益の特定」「向こう5年間の日本の関心と目標の特定」といった基本的な課題に関心が移っている。大統領は日米関係の基本を見直そうとしていた。

*5 FRUS, 1969-76, Volume E-12, Document 169. National Security Study Memorandum 172, March 7, 1973

 同年3月27日、愛知揆一蔵相とジョージ・シュルツ財務長官の会談が、ホワイトハウスのキッシンジャーの部屋で行われた。その会談の途中でニクソンが顔を出し、心にもないことを口にした。

©iStock.com

「あなたに知ってもらいたいのは、私が良き日米関係に意を強くしたということだ。米国と欧州の協議は多々あるが、日本が加わらないと取引はできないことを知ってほしい。日米は二大経済大国で、対等だ。日本を外した米欧の取り決めなどない*6」

*6 *5同、Document 171, Memorandum of Conversation, Washington March 27, 1973

 続けて、同席したキッシンジャーに「首相の訪米の時間はとれるよね」と尋ねた。

 キッシンジャーはこれに、「イエス。8月初めです」と答えると、「いいことだ。首相と天皇にも会いたい。そして来年は私が日本を訪問する」とニクソンは言っている。

 翌年、自分がウォーターゲート事件で辞任し、思い通りに訪日は実現しなかった。

 ニクソンは、5月12日には、訪米した大平正芳外相と大統領執務室で会った。大平は田中より先に、ホワイトハウスで大統領を表敬訪問する栄誉に浴した。大平への米国側の期待が強いことを態度で示したのだ。

二度目の首脳会談へ日米がさや当て

 この頃、双方は7月31日~8月1日に設定された、田中とニクソンの二回目の首脳会談の準備作業にとりかかっていた。

 両首脳にとって悩みは、大統領も首相も支持率が低下していたことだ。ニクソンはウォーターゲート事件、田中は金権政治が問題にされ、両者は人気回復策で悩んでいた。

 当時、日米間の主要課題は、(1)対中国政策の調整と、(2)日米貿易不均衡だった。しかし、(1)は既に「主要な論点」ではなく、(2)は「解決への道筋が付けられたよう」に見えた。