戦後最大の政治スキャンダル「ロッキード事件」。事件の全容はこれまで、長らく明らかにされてこなかった。そんなことからさまざまな陰謀が囁かれている。陰謀説のなかでも代表的なものが、「田中がアメリカの虎の尾を踏んだ」からロッキード事件が起きてしまったという通説だろう。

 しかし、さまざまな証拠をあたってみると、その通説は一種のうわさ話に過ぎなかったであろうことがわかる。国際ジャーナリストである春名幹男氏が、15年に及ぶ取材で手にした豊富な“証拠”を手がかりに巨悪の正体、陰謀説の真偽に迫った書籍『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(KADOKAWA)から「ロッキード事件」についての秘密を紹介する。

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幅を利かせてきた陰謀論

 田中角栄は「日本独自の資源供給ルートの確立」を目指していた。それは、石油ショックに襲われる前からの田中の政策である。

 エネルギーの安定的確保のため、大手石油企業(メジャー)の支配から独立し、供給源を多角化する必要性を、田中は痛感していた*15。1973年の欧州歴訪、1974年の東南アジア歴訪および中南米歴訪も、日本独自の資源供給ルートを確立するための「資源外交」がテーマだった。

*15 早坂『田中角栄』、362~392頁

 ロッキード事件は、そんな資源外交で「アメリカの虎の尾を踏んだ」(田原総一朗)ために起きた*16、とする陰謀論が、これまで幅を利かせてきた。つまり、そんな田中の意欲的な資源外交が米国に嫌われ、失脚したという考え方だ。

*16 田原総一朗「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」、『月刊「中央公論」』、中央公論社、1976年7月号、160~180頁

 しかし、本当に、田中の資源外交をぶっ壊す国際的謀略はあったのか。そんな疑問に対して、証拠を示した回答が提示されたことは、これまでまったくない。

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 実は、1974年11月のフォード訪日の直前、アメリカ政府は田中の資源外交の経緯を秘密文書にまとめていた。その中に、陰謀論の真贋(しんがん)を決する明白な事実が明記されていた。

 田中はその5カ月前、ホワイトハウスに「シベリア開発」に関する覚書を提出し、日米協力の推進を重ねて提案していたのだ。これらの文書から「虎の尾」の真相が浮かび上がった。

謀略論の源泉になった論文

 日本では、ロッキード事件をめぐって、長らく陰謀論や謀略論が満開の様相を呈してきた。これに対し、政治学者の新川敏光(しんかわとしみつ)が斬新な見方を提起している。

 新川によれば、どの謀略論の源泉も「若き日の田原総一朗による『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄』に辿り着く*17」というのだ。

*17 新川敏光『田中角栄』、ミネルヴァ書房、2018年、229~235頁

 この田原論文は、今日に至るまで繰り返し引用され、再生産されてきた。それには理由がある。この論文は、さまざまな陰謀説を満載していて、刺激的に面白い読み物だからだ。