論文が繰り返し引用されたワケ
その内容を読み返してみよう。陰謀説の情報に丸数字を付けると(1)~(13)にまでなった。
田原論文に最初に「情報源」として登場するのは「丸紅の中堅社員K氏」だ。彼は次のような疑問を投げかけた。
(1)児玉誉士夫がロッキード社と交わした契約書は1969年で為替が固定相場制の時代で、1ドル=360円なのに、契約書の円換算が1ドル=300円というのはおかしい。
(2)児玉の領収証印が古いタイプで、米国西海岸の日本語新聞社の活字から米国で作られたものらしい。
(3)米企業が外国人に支払ったコンサルタント料はニクソンらへの献金に還流したようだ。
(4)ロッキード事件は、ロックフェラー財閥など東部のエスタブリッシュメント対メロン財閥を中心にした新興勢力の内ゲバが起き、ニクソンを血祭りにあげたのが第一幕で、現在は第二幕目が展開されているという。
(5)チャーチ議員がインタビューで「日本こそは国がらみの多国籍企業であり、この超大企業の暴走はアメリカの国益を損ねる危険性がある」などと力説したという。
(6)キッシンジャーは田中の資源政策を“反ユダヤ的行為”と決めつけ、チャーチのスポンサーであるロックフェラーは田中角栄の資料を密かに集めさせた形跡があるという。
(7)『文藝春秋』の「田中金脈研究」の元資料が英文だったと言うルポライターがいる。
以上の情報は、いずれも伝聞だ。中でも、(6)の「チャーチ情報」はK氏が親しい新聞記者から聞いたというのだが、その記者の情報源が不明という。情報源が存在するかどうかさえ、怪しいのだ。
別の情報源は、次のような情報を伝えた。
(8)田中の秘書をしていた通産省課長、小長啓一(こながけいいち[後に通産事務次官])によると、田中は資源外交で、英国では北海油田開発への参加、西ドイツでは資源開発協力の委員会設置を提案、ソ連ではチュメニ油田の開発を提案した。
(9)アジア経済研究所の今川瑛一(いまがわえいいち)によると、田中が強引な資源外交でアメリカの神経を逆なでしたのは「無神経」すぎたという。
(10)田中派の渡辺恒三衆院議員は、1974年1月の田中のインドネシア訪問時の「反日暴動」について、CIAの関与を暗示した。また『金脈研究』のネタ本はKCIA(韓国中央情報局)から出たという話もあると言った。
(11)田中は辞任の二カ月前から、カナダでトルドー首相(父)と「オイルシェールやウラン資源の共同開発」、オーストラリアのホイットラム首相とウラン濃縮・再処理に至る核燃料サイクル共同開発について話し合った。
(12)しかし、アメリカがオーストラリアに横やりを入れ、ホイットラム政権は崩壊、次の政権はウラン探査から手を引いた。
(13)田中はオーストラリアに旅立つ直前の10月22日に外人記者クラブで金脈問題を追及され、結局退陣した。
情報は本当に正確なのか
論文の最後、結論部分で、田中が金脈問題を追及されて辞任した裏にはアメリカの圧力があったかのような書き方をしている。
チャーチからキッシンジャー、ロックフェラーに至るまでが、日本相手に陰謀を企んでいたような百花繚乱の陰謀説。田原はいずれの情報も大問題としている。しかし、実際は些細な問題か、確認不可能な伝聞情報だった。