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黒塗りの車がグルグル、国会議員が「数億円渡すから」と…一家が「命の危険」を感じた事件の顛末

日本音響研究所・鈴木創氏インタビュー #2

2020/11/01
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音が証拠になると急速に認知されていった

ーーお話を伺っていると、アキノ氏暗殺事件、グリコ・森永事件、日航機墜落事故の音声分析にあたられた1983年から1985年にかけての3年間は、音響研究所にとっても、鈴木家にとっても、まさに激動期と呼ぶにふさわしい時期ですね。

鈴木 1983年に関しては、アキノ氏暗殺事件の11日後に起きた大韓航空機撃墜事件もありました。NHKの依頼で、撃墜したソ連機パイロットの交信記録の声とソ連国営テレビのインタビューに答えた際の声の比較、大韓航空機の最後の交信の分析などをやっています。

 こうした事件や事故は非常に痛ましく、それによって音声分析、声紋鑑定の重要性や確度の高さを知ってもらえたというのはものすごく複雑なところではあるのですが……。また、この頃から会議などの重要な席で録音するのが当たり前のものになってきたというか。音がなにかの確証や証拠になるんだということを皆さんが理解するようになったと思います。

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ーー平成に入ってからも、警察庁長官狙撃事件の分析をされていますが。

【警察庁長官狙撃事件(95年)】

 1995年3月30日、出勤のために自宅マンションを出た國松孝次警察庁長官が何者かに銃撃される。4発撃たれたうち3発が命中、全治1年6ヵ月の重傷を負った。事件後、新たな犯行予告と共に地下鉄サリン事件を受けて行われていたオウム真理教の関連施設への捜査中止を迫る電話がテレビ朝日に掛かってきたことからオウム犯行説が浮上した。

鈴木 警察庁長官狙撃事件は、犯行から1時間後に犯行予告めいた電話がテレビ朝日にかかってきたんですね。「次は誰が危ないぞ」みたいな。その声が事件との関与が疑われていたオウム真理教の幹部のものに非常に似ているという話があって、電話を録音したテープがテレビ朝日から持ち込まれました。

 そうしたら警視庁公安部から分析結果を提供してくれないかと頼まれまして、テレ朝の許可を得て渡しました。ほぼほぼ同一人物なんじゃないかという結果が出ましたが、結局は不起訴になりましたね。

オウム真理教のポアリストに父の名前が入っていたという噂も

ーー狙撃事件の10日前の1995年3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きています。結果的に教団の狙撃事件への関与は嫌疑だけで終了となりましたが、それでも怖かったのではないですか?

オウム教団本部の立ち入り検査で施設に入る係官 ©共同通信社

鈴木 なんでも、オウム真理教のポアリストに父の名前が入っていたという噂もあったそうで、やっぱり不安になりました。その頃は渋谷区のここに研究所を移していたので、代々木警察署に警備を依頼しましたよ。