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「会社はなんで俺のことを手放すんだ」 57歳で肩を叩かれたサラリーマンは、どう“復活”したか

『ライフシフト』より#2

2020/11/16

source : 週刊文春出版部

genre : ライフ, ライフスタイル, 働き方, 読書

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父は常に私の味方になってくれた

 クイズ番組に出演している麻衣子さんは難しい漢字の読み方を当てて驚かれると、「普通に読めませんか?」と言い、他の回答者が答えられない問題に正解すると司会者に「これくらいはご存知でしょう」などと言ったりする。

「高飛車」「上から目線」は無論、番組上で演じるキャラクターに過ぎないが、まったくそんな資質はないのかと言えば、どうもそうではないのかもしれないと思うようになった。なにしろ父親が鼻持ちならない子供にするという独特の教育方針の持ち主だったからだ。

©石川啓次/文藝春秋

 実際は高飛車でも上から目線でもなく、その落ち着いたしゃべり方が人に安心感を与える麻衣子さんに話を聞いた。3人家族は非常に仲が良かったが、考えに相違が生じて2対1となる場合は大概、「天明さんと麻衣子さん」対「お母様」の構図になったという。

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「母は気の強い人でした。先日、実家で家財道具の整理をしていたら、母が客室乗務員から広報部へ異動する時に当時のお仲間から渡された寄せ書きが見つかったんですよ。その寄せ書きの書き出しが一様に『姐さん』で始まっていたぐらいですから。姉御肌だったんでしょうねえ。そんな母と喧嘩をすると、父は常に私の味方になってくれました」。麻衣子さんはそう言って笑う。

 その麻衣子さんが東京大学の受験を間近に控えたタイミングで、天明さんは日本航空を退職した。しばらく次の仕事を見つける気にならなかった天明さんの日常生活は、主に麻衣子さんの送り迎え。ちょうどその頃、食道がんが見つかった兄の病院通いに付き合ったりもした。

©石川啓次/文藝春秋

「それまで働きづめだったから、家族とじっくり向き合う時間ができたことはそれはそれで良かったと思っています。ただ時々、サラリーマンとして働いていたことを思い出し、『俺は何をやっているのだろう』という焦燥感に駆られたりしましたね。意にそぐわない退職だったからかもしれません」

日本航空退職から3年後に再就職

 東京・六本木。六本木ヒルズと並ぶランドマークの東京ミッドタウンは、オフィスやショップ、レストラン、美術館、レジデンス、公園・緑地などで構成される大規模複合施設である。高級ブティックやレストランが軒を連ねるショッピングモールにはフロアごとにコンシェルジュが居て、訪れる客に店の場所を案内したりしている。

 日本航空で一緒だった先輩に誘われて、天明さんがこのコンシェルジュのオペレーションを請け負う会社に再就職したのは日本航空退職から3年が経った60歳の時だった。麻衣子さんは東大在学中だったが、ほどなく卒業する。教育費はかからなくなるし、それまでの蓄えもあったから、妻と生活をしていくには年収が500万円ほどあればどうにかなると考えていたところに舞い込んだ話だった。