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「会社はなんで俺のことを手放すんだ」 57歳で肩を叩かれたサラリーマンは、どう“復活”したか

『ライフシフト』より#2

2020/11/16

source : 週刊文春出版部

genre : ライフ, ライフスタイル, 働き方, 読書

 人生百年時代、セカンドライフの身の振り方に悩む人は多いだろう。会社にいると、つい目先の生活に追われ、10年後、20年後を考えることは難しい。新聞社で企業取材を長年続けていた、秋場大輔氏もその一人だった。ししかし秋場氏は義兄の認知症発症、家族の健康問題、会社の異動への不満などが一時期に重なって、新聞社から独立したことをきっかけに、会社を卒業した人の人生や、心境について取材する機会を得た。

 秋場氏の著書『ライフシフト』より、妻の死と猛烈な孤独を乗り越え、元日航パーサーから喫茶店経営に“ライフシフト”したエピソードを抜粋して紹介する。

©石川啓次/文藝春秋

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日本航空の肩たたき

 そんな天明さんの人生に暗い影が覆いかぶさった。2010年1月の会社更生法の適用申請だ。

 日本航空の経営破綻にはさまざまな原因がある。直接の引き金となったのは08年のリーマン・ショックだが、過去の経営にも大きな問題があった。総合的なサービスを提供して競争力を向上させるとして続けたホテルなど関連事業への過剰投資。政治的な理由を背景とした採算の取れない地方路線の存続。発足以来続いてきた労働組合問題……。

 日本航空のそうした経営の歪みは一気に噴き出したわけではなく、実際に更生法の適用を申請する数年前から経営難は続いていた。建て直しのために、社内では主に中高年の社員を対象とした断続的な肩たたきが進み、天明さんもその片棒を担がされたが、ある日、その肩たたきの波が天明さん自身を襲った。57歳の時のことだ。

©石川啓次/文藝春秋

「ショックでしたね。会社はなんで俺のことを手放すんだと思いました」と天明さんは振り返る。

 通常、定年を迎えた客室乗務員はラストフライトという儀式に臨む。在職中を振り返りながら最後の搭乗を終え、仲間から花束を手渡されるなどして会社を後にするというセレモニーだ。しかし天明さんは肩たたきにあったことがショックだったのか、親しい仲間にもラストフライトを告げず、ひっそりと日本航空を去った。

退職、妻との死別、猛烈な孤独が立て続けに襲う

 天明さんは入社試験をサポートし、共に日本航空へ入社した学生時代からの彼女と30歳で結婚した。38歳の時に生まれた一人娘は現在フリーアナウンサーで、クイズ番組などでも活躍する天明麻衣子さんだ。

©石川啓次/文藝春秋

 麻衣子さんのことになると天明さんはことさら嬉しそうに話し出す。「麻衣子は生まれた時から『鼻持ちならない人間に育てよう』と思ったんですよ」

 聞きようによっては、それこそ鼻持ちならないが、子育ての方針をさらに深く聞いていくと、要するに溺愛しているという意味のようだ。例えば家族で夏休みを過ごす。「今年は海へ行こう」と決めて、訪れるのはニースの海岸。日本の海水浴場には連れて行かなかったという。