ビジネスマン人生は64歳でピリオド
テンパパは次第に追い詰められていった。「麻衣子に負担をかけたくないと思っていたので、すべてを自分1人で引き受けようとしました。だから余計に疲弊しました。今だから言えるけれど、車に乗ってアクセルを吹かし、そのままガードレールに突っ込んで死のうという衝動に駆られることもありました」
荒んだ心を癒してくれたのは、時折、顔を見せてくれる麻衣子さん。そして会社の同僚だったという。目の下に隈を作って出社すると、「仕事はこっちに任せて、ソファで寝ていなさいよ」と言ってくれた。介護と仕事の両立は非常に難しい。しかしテンパパの場合、慮ってくれる仲間がいる仕事場へ行くことがむしろ心の支えになった。
最愛の妻はテンパパが63歳の時にくも膜下出血で亡くなった。さらに良き理解者で、追い込まれていたテンパパの心の支えになってくれた職場の同僚が、あろうことか妻の死からほどなくして癌で先立ってしまった。気力は失せ、会社に取り残された自分が65歳の定年まで勤め上げることに意味が見出せなくなり、ビジネスマン人生は64歳でピリオドを打った。
3つ目の不幸は猛烈な孤独
勤めていた会社が経営破綻し、その余波で早期退職を迫られた。ほどなくして最愛の妻が認知症を患い、介護で肉体的にも精神的にも追い込まれた。そんなテンパパを襲った3つ目の不幸は猛烈な孤独だった。
1人の生活が始まったテンパパの自宅に新聞が届く。さしたる予定がないから時間潰しで届いた朝刊を隅から隅まで読んでいると、玄関の郵便受けがゴソッと鳴る。夕刊が届いた音だ。それで「ああもう夕方か」と思う。そこでテレビを点けてドラマの再放送を見るが、途中で気がつく。「これ、この前も見たじゃないか」と。
ごそごそと着替えて近所のスーパーへ買い物に出かける。少量の食材を買い込んで会計をする際に、レジ打ちの女性に「買い物袋はいりません」と告げる。それがこの日、自分が初めて発する言葉だったことに気づく。そんな日々がしばらく続いた。
失意のどん底でテンパパは自問自答を繰り返した。孤独に苛まれているのは、会社を退職し、自分の居場所がないからだ。客室乗務員として働き始めた時も孤独を感じたけれど、搭乗客とやり取りをしていれば心が晴れた。そこから接客のノウハウを磨いた。「お酒が欲しい」とか「新聞を読みたい」と言われる前にお客様が所望していることに応え、「ありがとう」と言われることが嬉しかった。
いろんな人と接して他愛もない会話をする。相手が嬉しそうに話をすれば、「それは良かった」と一緒に喜び、相手に困りごとがあれば、気が晴れるまで聞いてあげ、少しだけ手を差し伸べる。そんなことを楽しいと思う自分にふさわしい居場所が必要だ。そう思った時に考えついたのが喫茶店の経営だった。