人生百年時代、セカンドライフの身の振り方に悩む人は多いだろう。会社にいると、つい目先の生活に追われ、10年後、20年後を考えることは難しい。新聞社で企業取材を長年続けていた、秋場大輔氏もその一人だった。しかし秋場氏は義兄の認知症発症、家族の健康問題、会社の異動への不満などが一時期に重なって、新聞社から独立したことをきっかけに、会社を卒業した人の人生や、心境について取材をする機会を得た。
秋場氏の著書『ライフシフト』より、妻の死と猛烈な孤独を乗り越え、元日航パーサーから喫茶店経営に“ライフシフト”したエピソードを抜粋して紹介する。
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喫茶店経営はハードルが高い
テンパパのそうした思いを後押しする人も現れた。日本航空や東京ミッドタウンで共に働いた仲間だ。そのうちの1人で、現在、はちはちのスタッフとなった渡佳奈さんはこう振り返る。「天明さんと一緒に仕事をしていると楽しかったんですよ。そのご本人から『佳奈、喫茶店をやろうと思うのだけれど一緒にやらない』と持ちかけられたので、即座に乗りました」
定年退職したビジネスマンが第2の人生として喫茶店経営に乗り出すのは、よくある話である。自分のペースで生活ができることに加え、レストランやバーなど他の飲食業に比べて開業資金が少なくて済むのが大きな理由だが、実際はかなりハードルが高い。
例えば町歩きをしていてそこに新しいお店が出来たことに気づいたとする。「面白そうな店ができたから覗いてみよう」などと言って、人が入ってみたりするのは一昔前の話である。今はグルメサイトでそれなりの評価点が付いていなければ、見向きもされないことを覚悟しなければならないらしい。これを教えてくれたバーを営む友人は「僕は20年前に始めて軌道に乗ったからよかったけれど、知り合いは『グルメサイトのおかげで、半年は来店客がゼロだと思って計画を立てないと今の飲食業はやっていられない』とぼやいているよ」と語る。
果たしてそんなリスクを考えなかったのだろうか。テンパパは「もちろん考えた」と言うが、実際の計画はかなり危うさがあった。
喫茶店を経営するのにかかるコストとして大きな割合を占めるのは家賃と仕入れ、それと人件費だ。もちろんそれを上回る売り上げがあれば問題ないが、素人が始めるのだから最初からうまくはいかないものだ。「だからこれまでの蓄えを取り崩せば、お客様が1人も来なかったとしても、3年間はお店を続けられる。実際に貯金が底をついたら、その時はその時だ」。天明さんはそんな計画を立てた。1人っきりでほとんど誰とも口をきかない生活をするくらいなら、蓄えが減ろうとも、多くの人とおしゃべりが出来る場を作った方が良いと考えた。