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「通算勝利数は1341勝」 不滅の大記録を作り出した松本勝明、圧倒的な強さのカギとは

『競輪という世界』より

source : 文春新書

genre : エンタメ, 社会, 読書, スポーツ

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ミスター競輪

 山本清治 初代「ミスター競輪」

 1930年9月26日生まれ 1949年デビュー、1961年引退

 競輪初期に活躍したレジェンドをもう1人紹介しよう。

 岸和田競輪で開催されているヤマセイ杯は、ヤマセイこと山本清治の引退50年後に創設された。

 173センチ、70キロ。特別競輪の初代チャンピオンが2つある。1950年に始まった高松宮賜杯(現・高松宮記念杯)は2連覇。そして、翌51年から競輪発祥の小倉競輪場で開催された競輪祭でも、最初の勝者となった。ともに現在もGIレースとして行われている。

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 全国争覇競輪(現・日本選手権競輪)では、後楽園競輪場で行われた51年の第4回で優勝、全国都道府県選抜競輪では53・54年と2大会連続4000メートルで優勝した。

 12年余の選手生活で、1290戦609勝、勝率47・2%。2着は266回で、連対率(2着以内に入った割合)67・8%、つまり3回に2回は連勝車券に絡んでいたことになる。この数字は、プロスポーツ選手で初の1億円プレーヤーとなった中野浩一に勝率53・9%、連対率71・8%で抜かれるまでトップだった。

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 父の金作が郵便配達人たちの自転車修理をしていた関係で、男兄弟7人(1人は夭折)の6人全員がプロになった競輪一家である。上から春雄、金哉、ヤマセイ、義男、利光、賢一。兄の金哉は、競輪が始まった1948年11月第1回小倉競輪の乙規格2000メートルで1着の記録が残っている。

 ヤマセイ自身も中学時代から自転車の選手だった。「練習は人の3倍した。オヤジは練習の相手は人ではない、時計だといった。時計は絶対加減しないからだ。400メートルのトラックを100周、そのタイムを計った」。