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ヤクザの息子として育てられた少年時代…一流の競艇選手だったオレが八百長に手を染めた理由

『競艇と暴力団「八百長レーサー」の告白』より #1

2020/11/22

 自身が出走するレースでわざと着順を落とし、高額配当を演出。そのレースの舟券を親戚経由で購入するという八百長事件……2020年1月8日、ボートレース界に大きな衝撃を与える事件が明るみに出た。

 ボートレース史上最大の八百長事件はなぜ起きたのか。事件の中心人物であった元競艇選手西川昌希氏の手記『競艇と暴力団「八百長レーサー」の告白』より、その背景を紹介する。

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ヤクザの息子として育った幼少期

 子どものころは、大きくなったら自分はヤクザになるものと思っていた。

 幼い時分に実の両親が離婚し、俺は母方の親類だった「弘道会」幹部に預けられ、「ヤクザの子」として育った。小学生時代から組の行事に参加し、中学時代にはパチスロ、ナイター競輪、裏ポーカーとバクチ三昧の生活。組のシノギがあったおかげで何不自由することない生活を送り、俺はワルのエリートだった。

 だが中学生のとき、その「育ての父」が、自身が所属する組の若頭殺害事件に関与し、逮捕されてしまう。

「蛙の子は蛙」という諺を信じ、渡世人として生きる自分を思い描いていた俺は、途方に暮れた。そんなとき、偶然目にしたボートレーサーの試験にまぐれで合格し、俺は競艇(現在は「ボートレース」と呼称)の世界の住人となった。2009年に三重県の津競艇でデビューし、その後、トントン拍子に最上位ランクのA1に昇格。艇界では最上位レースの「SG」(スペシャルグレード)にも出場した。

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 いま思えば、あのころが絶頂期だった。

 その後、俺は偶然のきっかけでレースの世界ではタブーとされる「八百長」に手を染めた。不正に稼いだ金額は、少なくとも5億円以上。俺が受け取ったのはその半分以下だが、すべて競馬や競輪など、競艇以外のギャンブルで使い果たした。

 なぜ、不正に走ったのか。その動機がカネだったことは間違いない。

2500万円以上の賞金を稼ぎながらも八百長に手を染めた

 選手として、全盛期は年間2500万円以上の賞金を稼いでいた俺だが、それはたった数回、八百長をすれば稼げる金額だった。正規の賞金は税金がかかるが、八百長の報酬は無税だ。いったん不正の旨味を知った俺は、甘い誘惑から逃れられなくなった。

 ただ、カネだけが目的だったのかと言えば、そうではない気もする。

 単に稼ぐためであれば、もっと信頼できる賢い共犯者を選ぶことも可能だったし、分け前をきっちり「折半」、あるいはそれ以上に設定して要求することもできた。舟券を買うだけだったら誰でもできるが、不正レースの絵を描いて、それをきちんと成立させるのは俺にしかできない。

 だが子どものころから「宵越しの銭は持たない」という生活を続けてきたおかげで、そのあたりの金銭感覚は完全に麻痺していた。

 むしろ、カネよりも「自分の思い描いた八百長の構図をレースで演じ切る」という、倒錯した充実感が俺の不正に対する情熱を支えていた。

 昭和の時代に大相撲の八百長工作を担った元力士は、「難しい星勘定を完璧に帳尻合わせし、仲間から評価されることが快感だった」という趣旨の告白をしたと聞く。その意味で言えば、俺も自分の「完全犯罪」に酔いしれていた部分があった。