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桜前夜祭で3度目は消えた?安倍前首相の本質はSNS駆使の“感動政治”だ

安倍晋三論|プチ鹿島

2020/12/25

source : 文藝春秋 digital

genre : ニュース, 社会, 政治

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安倍氏を有名にした「思想的な問題」

 注目したいのが『誰も書かなかった自民党』(常井健一・新潮新書2014年)。登竜門と言われる自民党青年局に注目した著作。

 安倍が初当選したのは93年の総選挙。思い出してほしいが、実は同期では最初から将来が注目されていたわけではない。田中眞紀子、野田聖子のほうが目立っていた。自民党青年局がこのころに「次世代リーダー」を選ぶ全国調査をしたところ1位は田中、2位は野田だった。

「そんな埋没気味だった安倍を一気にスターダムに押し上げたのはなんだったのか」。安倍が青年局長時代の97年に設立した「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」に常井は注目する。これは保守派の学者が集った「新しい歴史教科書をつくる会」と連動した勉強会であった。

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《文部省の教科書検定制度に異を唱え、いわゆる「自虐史観」を正すのを目的とした。》

《つまり、安倍を有名にしたのは従軍慰安婦や歴史教科書などの思想的な問題であった。》

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 その後、タカ派路線を突き進む。2007年には中川昭一を会長に「真・保守政策研究会」が設立され、急逝した中川から引き継ぎ「創生『日本』」に発展させたのが安倍晋三なのである。

《「保守傍流」というレッテルを「真正保守」という新語で塗り替え、永住外国人地方参政権や選択的夫婦別姓に反対を唱えるなど、10年代の永田町において一番右寄りで一番有力な議員集団となっている。》

「創生『日本』」には現首相の菅義偉も副会長の一人として名を連ねている。

 青木理の著作では政治家になる前の安倍には今につながる言動はあまり感じられなかったという証言が多かった。では思想が「開花」したのは国会議員になってからなのだろうか。もともと心に秘めていたのか、それとも周囲の人に感化されやすいのか。後者だとしたら安倍のお坊ちゃま感とはこういう点にこそ味わえると思うのだが。

「論破」への執拗なこだわり

 さて、93年から議員活動を始め「真正保守」を掲げた安倍だが、この時系列には意味を感じてしまう。

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歴史修正主義とサブカルチャー』(倉橋耕平・青弓社2018年)は、今の歴史修正主義の流れは90年代からはじまると指摘している。この中で「論破」について取り上げている(第2章『「歴史」を「ディベート」する』)。

 いわゆる歴史修正主義者は討論ではなくディベートを好むという。真実よりも説得性が重要視されるからである。事実を「相対化」し、他者を言いくるめることそれ自体が目的の中心になる。つまり「論破」への執拗なこだわり。キーワードは「論破」。これは90年代から現在のツイッターなどのSNS言説にも続いているではないか。

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