『LIFESPAN(ライフスパン) 老いなき世界』(デビッド・A・シンクレア、マシュー・D・ラプラント 著/梶山 あゆみ 訳)

 常々、安易な長寿礼賛を批判している私に、この書評を依頼した編集部の意図は何か。徹底的にけなせということか。実際、目次を見ると、「ふざけるな!」と言いたくなるような文言が並んでいる。曰く「健康なまま120歳まで生きられる時代へ」「老化はリセットできる」「あなたの長寿遺伝子を今すぐ働かせる方法」等々。

 しかし、じっくり読んでいくと、驚くべき発想の転換が示される。「老い」を致し方ないと思うのは単なる思い込みで、「老い」は「病気」だから治療できるというのだ。がんでも糖尿病でも心不全でも、現代の医療は目の前の病気を治そうとする。著者はこれをモグラ叩きだと言う。あらゆる病気の源流に「老い」があるのだから、それを治療すれば、支流の各疾患は発症さえしないのだと。

 眉唾だと思ってはいけない。本書によれば、老いの本質はDNAの損傷による細胞の機能の混乱であり、ゲノムにはサーチュインという酵素がついていて、DNAが損傷されると、それが修復に向かう。そのときゲノムは生殖機能を失う。サーチュインがもとにもどれば機能は回復するが、もどれないとき、ゲノムのオン・オフを司るエピゲノムが混乱して、さまざまな不具合を来す。老化はその蓄積で起こるというのだ。だからDNAの損傷を減らし、サーチュインを安定させて、エピゲノムの混乱を防げば、老化は阻止できると著者は主張する。

ADVERTISEMENT

 実際、老化と無縁の生物であるヒッコリーマツやヒドラ、あるいはサメの一種を研究し、老化で視力を失ったマウスの視神経を再生させたり、人間で言えば六十五歳くらいのマウスに、ランニングマシンが壊れるほど走り続けさせることに成功している。

 エピゲノムの混乱を抑制すれば、DNAは正確に発現するので、若いときと同じ細胞が再生される。さらにリプログラミング・ウイルスを感染させて、老化が進んだゲノムを、保存されている無傷のDNAでプログラムしなおせば、老化した身体も若返る。「老化の時計」が巻き戻されるのだ。

 前半ではかなり専門的な生物学的知見が語られ、多くの読者は十分には理解できないだろう。それでもすべてが論理的かつ実証的で、整合性があり、素人にはとても疑問を差し挟めない。これだけすばらしい話を並べられたら、酵母やマウスの実験が、人間に応用できるのかなどという些末な問題は思い浮かびもしないだろう。そして、希望に満ちあふれた著者の主張を信じ、恍惚となるにちがいない。あたかも教会で高僧の説教を聞いて、天国の存在を信じるように。

 本書はどこにも嘘は書いていない。あるのは都合のいい事実と、楽観主義に貫かれた明るい見通しだ。万一、本書に書かれたことが実現するなら、この世はまちがいなくバラ色になる。

David A.Sinclair PhD/科学者、起業家。老化の原因と若返りの方法に関する研究で知られる。ハーバード大学医学大学院で遺伝学の教授を務める。

Matthew D.LaPlante/ユタ州立大学で報道記事ライティングを専門とする準教授。

くさかべよう/1955年大阪府生まれ。大阪大学医学部卒。2014年、『悪医』で日本医療小説大賞受賞。最新作に『善医の罪』。

LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界

デビッド・A・シンクレア ,マシュー・D・ラプラント ,梶山 あゆみ

東洋経済新報社

2020年9月16日 発売