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「評価値ディストピア」の世界をトップ棋士はどのように見ているのか

「評価値ディストピア」の世界をトップ棋士はどのように見ているのか

佐藤天彦九段インタビュー #1

2021/06/18
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公の場で名人がソフトに負けたという象徴的な出来事

――補助として使っていたのが、いまや先生みたいな存在に変わったと思います。その関係はなぜ変化したのでしょう。

佐藤 まずはソフトが強くなったことです。そして、ソフト研究が加速したのは私が電王戦(※1)で負けて、世の中の空気が変わったことじゃないでしょうか。

※1:電王戦はドワンゴが主催した、棋士と将棋ソフトの対戦。創設は2012年で、「人類VS人工知能」として大きな注目を集めた。レギュレーションやメンバーを入れ替えながら行われ、最後の2017年に名人を保持していた佐藤九段は叡王戦トーナメントで優勝し、「PONANZA」(開発者は山本一成氏と下山晃氏)と二番勝負を戦った。結果は「PONANZA」の2連勝で幕を閉じている。

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2017年、電王戦にて将棋ソフトPONANZAと対局する佐藤天彦名人(当時) ©文藝春秋

――ソフトの実力を考えれば、佐藤九段自身が敗れる前でも研究に使うのはかなり有効だったのではないですか。

佐藤 ええ。でも、ファンの方々の大半が「プロがソフトを研究に使うのはどうか」と思っているであろうなかで、多くの棋士がソフトでガリガリと研究するのは抵抗があったんじゃないでしょうか。ところが、公の場で名人がソフトに負けた。ソフトが人間を超えたという象徴的な出来事が起こり、「ソフトを使って勉強するのは自然だよね」という言い分みたいなものができて、抵抗がなくなっていった気がします。

当時ソフトを戦う相手として見てはいなかった

――なるほど。ちなみに当時の電王戦は本番と同じハイスペックのPCとソフトのバージョンが用意されて、研究パートナーを永瀬拓矢王座(当時は七段)が務めましたね。いってしまえば、最強のソフトと研究熱心な若手と過ごした期間です。どんな準備をしていたのでしょうか。

佐藤 できる限りのことはしましたけど、私はソフトを戦う相手として見てはいなかったんですよ。同じゲームで戦いますけど、違う存在ですからね。例えば、人間だと1時間かけて読めることがソフトでは数分だったりして、時間の概念が違います。何がフェアなのかよくわからない状態で、やっているわけです。

――その例は、車と人間が競争するのをレースだと認めるか否かと話が似ていますね。では、電王戦で何を準備したんでしょうか。

佐藤 私は同じ時期に名人戦の防衛戦もあったので、1、2月にソフトの準備、3、4月に名人戦用の研究を始めました。

 対ソフトは、ソフト特有の指し回しや独特の作戦の傾向、それにどういう対策をするかがポイントになります。対PONANZA戦以外のときは、しっかり練れば本番でも同じ形になりやすかったと思うんです。でも、そういう準備は対人間ではあまりしないですし、対局者の片方だけが圧倒的に準備できるというのは私自身が考える戦いの本質とはちょっとずれている部分があったので、戦う相手として臨むという気持ちにはなりにくい。

 もちろん、それもひとつのエンターテイメントではあると思うんです。実際に準備だって相当の時間と労力をかけないといけないですし、何より見ている側にとっては人間とソフトの戦闘能力が拮抗して面白いというのはあるでしょう。ただ、私の好みかといわれるとそうではないんです(笑)。

 話を戻すと、私がやった「PONANZA」は初手ランダム制だったので、何を指してくるかわからず、事前の準備も絞り切れませんでした。ソフト自身が最善と判断する手ばかり指していると人間側に狙い打ちされるので、PONANZA開発者の一人である山本さんが工夫されたんですね。そのなかで、永瀬さんは本当に助けてくれましたよ。初手のPONANZA側の選択肢を割り出し、そこからどういう構想で戦ってきそうなのか、どうすれば人間にとって勝ちやすいかを洗いざらい調べてくれたおかげで、その意見を聞いてから効率的に研究できました。名人戦と並行していながらも、ある程度の準備をもって臨めたのは永瀬さんのおかげだと思っています。