振り飛車はアマチュアに人気の戦法だ。しかし、トップ棋士のほとんどは居飛車党である。現在、振り飛車党のタイトル保持者はおらず、10人のA級棋士のうち純粋振り飛車党は菅井竜也八段のみ。ソフト同士の対戦ではほとんど振り飛車は現れず、「飛車を振っただけでも評価値が下がる」は有名な話だ。

 しかし、生粋の居飛車党だった佐藤天彦九段が飛車を振るようになった。昨年10月の王将戦リーグで藤井聡太王位・棋聖に先手中飛車をぶつけたのを皮切りに、その後は半分以上を振り飛車で戦っている。後に「シーズン途中でのフォームチェンジは大きなチャレンジだった」と振り返った。

佐藤天彦九段と藤井聡太二冠は、2018年の朝日杯将棋オープン準々決勝で初対戦した(結果は先手番だった藤井二冠の勝ち) ©文藝春秋

 思い起こせば、大師匠の大山康晴十五世名人も1957年に名人を失って無冠に転落後、多忙な対局日程をこなすために振り飛車党に転身し、1992年に逝去するまでトップ棋士として君臨した。

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 佐藤九段の振り飛車は「見切り発車だった」という。話は振り飛車の性質、評価値と将棋観戦のあり方と多岐にわたった。

試行錯誤の一環で飛車を振るようになった

――佐藤九段はデビューから相居飛車の最新形で戦ってきました。いまは飛車を振ったり、陽動振り飛車のような力戦形を増やしています。理由を教えてください。

佐藤 試行錯誤の一環です。ソフト研究をガリガリやる、巧みに外す、オールラウンダーになって手広くやる。どれが自分に合ったスタンスかを見つけようとしています。まだ見つかっていないので勝率は上げにくいでしょうが、長いスパンで考えればそういう時期があるのは仕方がないでしょうね。

 実は、振り飛車を試したのは今回が初めてじゃないんです。2016年に名人を獲った後、角交換振り飛車をNHK杯とかイベントの席上対局で何局か指していました。

2016年に名人位を奪取した直後の佐藤天彦九段(当時28歳) ©文藝春秋

――当時はまだソフト研究が過熱する前ですし、そもそも居飛車で結果を出した直後なので、不思議な感じがします。

佐藤 とりあえず初タイトルを獲得したので、自分らしさを盤上で表現したいと思い、振り飛車を指したんですよ。将棋は基本的に勝利が第一義としてあり、それをみんなが懸命に求め合った結果、よい棋譜ができて個性がにじみ出てくるのが一般的だと思います。私は名人を獲るまで、勝つための組み立ての色が濃く、先手は角換わり、後手は横歩取りというスタイルでした。

 でも、角交換振り飛車を研究した割には数局しかやらなかったですね。棋風に合っていないわけではないんですが、経験が浅くて結果を出しにくく、実際に何局か指して満足したのかもしれません。

――いまは三間飛車や中飛車をエースにしています。どれぐらい準備したんですか?

佐藤 いや、そんなに(笑)。私は結構、見切り発車なんですよ。ずっと居飛車党だった人間が振り飛車で準備万端にするには、1年も2年も温めないといけない。でもその間に飛車を振りたいという気分も去っていくかもしれない。目先の勝率だけで見送り続けていったら、私は振り飛車を一生できません。