――なるほど。将棋は一手で簡単に逆転が起こりやすいゲームですし、初心者から見てもターニングポイントがはっきりしているのかもしれません。
佐藤 王を詰ませば勝ちという展開のわかりやすさもありますよね。局面の均衡を保っているときはよい手が出にくいけど、悪い手はすごくわかりやすい(笑)。ソフトの評価値が出て、楽しみ方が野球とかサッカーに近づいているだけなのかもしれないですね。
投了で一区切りスパッとつけたほうがすっきりする
――勝負や競技のなかで、将棋は自ら負けを告げるのが特徴のひとつです。佐藤九段は居住まいを正してから、かなりはっきりした声で頭を下げる姿が印象に残ります。
佐藤 投了はかなり象徴的な瞬間で、一区切りつくところだと思います。実際に負けを意識するのは投了よりも前の段階で、どうやっても勝てないと悟ったときにいちばん絶望するんですよ。投了する直前も絶望の余韻がありますけど、そこで一区切りスパッとつけたほうがすっきりするじゃないですか。自分の気持ちも切り替えやすくなるし、あとは見ている方々も視覚的にわかりやすいほうが「ああ、終わったんだ」と腑に落ちますし。
――その視点は、将棋が棋譜や写真だけでなく映像でもずっと配信されるようになった影響がうかがえます。
佐藤 私は音楽の理論を勉強していますが、この和音が来たらこの音に落ちたい、そうなればこの曲がすっきり終わった感じがするというセオリーがあるんですよ。気を付けしたら次は礼をする、それと似た感覚です。投了の仕方も個性が出て様々ですが、私はそこを濁すと一局が終わった感じがせずすっきりしない印象になる気がするので、なるべくはっきりさせたいと思っています。
――対局後、ツイッターに感想を投稿されています。勝っても負けても淡々と書かれていますが、なぜ続けているのでしょう。
佐藤 中継の補完ですね。盤上の理解を深めてもらえたら嬉しいですし、そこまで難しく考えず単純に対局者の感想を楽しんでもらえたらいいのかなと思います。最近はスポーツ選手でもツイッターをやっている人が多くて、試合の感想を書いてあると「実はこう思っていたんだな」と面白いです。
プロの将棋は観戦記やネット中継、動画配信で伝える方々がいます。ファンの方々がその将棋にどういう印象を持つかは、棋譜のクオリティだけでなく、そういったメディアに携わる方々が大きな役割を担っていると思います。
順位戦豊島竜王戦。32手目△45歩が悪い流れを作る一手になってしまいました。攻めの手のつもりだったのですが、攻めるなら△93桂、穏やかに指すなら△64銀くらいでした。本譜は中途半端で、先手の右銀を57に組み替えられ相当勝ちにくい将棋になってしまったと思います。また頑張ります。
— 佐藤 天彦 (@AMAHIKOSATOh) June 10, 2021
例えば、いくらよい曲があっても楽譜のままではわからないし、絵画でもある程度の前提知識がないと楽しめないものはあります。一方で、印象派以降のように予備知識がなくても楽しめるものもある。ふふ、それは振り飛車に通じるかもしれないですけど(笑)。
私が指してきた相居飛車は、絵画でいえば宗教や神話の前提知識がないと「あ、だからドクロがここにあるのか」と楽しめないものが多いんですよ。そうなると、作品と鑑賞者の間に入る人が必要なんです。音楽でいえば指揮者や演奏者、絵画でいえば美術史家などですね。それと同じように将棋の世界も成り立っていて、そこに対局者である私が感想を投入することによって、見ている人にとってプラスになればいいかなと思っています。