大きく変貌する将棋界に現れた若き天才・藤井聡太。
14歳2ヵ月・史上最年少のプロデビュー後、衝撃の29連勝から始まり、史上最年少でのタイトル獲得など、次々と将棋界の記録を塗り替えていく彼の「すごさ」の源泉とは――。そして、人間はどこまで強くなるのか。
その謎を、史上最年少名人位獲得の記録を持つレジェンド・谷川浩司九段が、自らの経験を交えながら、さまざまな角度から解き明かした『藤井聡太論 将棋の未来』(講談社)。その一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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渡辺棋聖が選んだ「弱者の戦い方」
2020年7月、棋聖戦五番勝負で藤井さんは渡辺明棋聖に挑戦し、3勝1敗で棋聖を奪取した。藤井さんにとっては初めてのタイトル獲得であり、17歳11ヵ月でのタイトル獲得は、屋敷伸之さんのタイトル獲得(棋聖)最年少記録である18歳6ヵ月を更新した。
渡辺さんは藤井将棋について「谷川さんと羽生さんの両方を持っているような感じを受けた」と語っていた。
第1局が終盤のスピード勝負で、藤井さんの指し手が突然ギアを変えて一直線の寄せに持ち込んだ。それが「光速の寄せ」と呼ばれた私の勝ち方を連想させるものだったのだと思う。
第2局は優劣がはっきりしない中盤が続く中で勝敗を分ける妙手、のちに「AI超え」と呼ばれた「△3一銀」を放たれた。その一着が羽生さんの指し回しをイメージさせたのだろう。
第1局のような勝ち方をする棋士はいる。第2局のような勝ち方をする棋士もいる。けれども、両方を持ち合わせていることが、渡辺さんとしては心底驚きだった。彼の表現を借りれば「大谷翔平選手が投打のどちらでも上位の成績を収めてしまっているようなもの」だ。
しかし、付け加えておかなければいけないことがある。この対局自体が新型コロナウイルスの感染拡大という特別な状況下で行われたということである。
本来は、4月から始まった名人戦が6月下旬に終わり、6月から棋聖戦が始まるという日程だった。ところがコロナ禍のため、4月から5月は対局ができず、渡辺さんは名人戦挑戦と棋聖戦防衛を並行して、しかも相次いで開幕を迎えることになった。
さらに日程的には藤井さんが挑戦者と決まってから4日後にタイトル戦が始まった。つまり事前の準備がほとんどできないまま挑戦者を迎えることになった。
連敗を喫してから第3局まで10日間ほどしかない。ストレート負けだけは避けなければいけない。一方で初の名人獲得をかけた名人戦がある。結果的に彼が「弱者の戦い方」と呼ぶ戦術に出たのだろう。
ただ、「弱者の戦い方」とは、自分自身に対して厳しい彼一流の戒めであり、韜晦でもあるはずだ。本当に自分のほうが弱いとは思っていないからこそ言える言葉でもある。事実、8月の名人戦で挑戦者の渡辺さんは4勝2敗で豊島名人との七番勝負を制し、初の名人位を獲得した。