藤井聡太棋聖にとって、自身初のタイトル防衛戦となる第92期ヒューリック杯棋聖戦の五番勝負が6月6日から始まろうとしている。挑戦者に名乗りを上げたのは渡辺明名人。渡辺にとっては前年に棋聖を藤井に奪われたため、リターンマッチとなる。
タイトルを取られても決勝トーナメントを勝ち上がり、さらには挑戦者決定戦で永瀬拓矢王座を破って挑戦権を獲得したことが、現在の渡辺の充実ぶりを示しているとも言える。では、過去の将棋界ではどのようなリターンマッチが行われてきたのだろうか。
世紀の偉業と讃えられた復活劇
棋界における最古のリターンマッチと言えるのは、1949年に行われた第8期名人戦だろうか。木村義雄十四世名人対塚田正夫名誉十段の対決である。
「前名人」という肩書で名人の塚田正夫に挑んだ木村が、3勝2敗(この年のみ名人戦は五番勝負)で塚田から名人を奪い返した。その最終第5局は皇居の武道館、済寧館で行われたため「済寧館の決戦」と言われている。塚田が名人を明け渡した投了図が潔い局面で、そこから塚田側を持って侍従と指し継いだ昭和天皇が勝ったという逸話もある一局だ。
当時、不惑を過ぎていた木村が一度トップから落ちてまた復活したのは、世紀の偉業と讃えられた。
なお、木村が名人を塚田に奪われたのは第6期で、そこから挑戦権を得るまで1期空いているが、象徴的な対戦だと思うので、あえて触れておきたい。
2年間のタイトル戦がすべて升田―大山戦
昭和の黄金カード、升田幸三実力制第四代名人対大山康晴十五世名人もリターンマッチが相次いだカードと言える。1952年に木村義雄を破って名人に就いた大山は53、54年と2年続けて升田の挑戦を退け、以降5連覇を達成し永世名人の資格を得た。
「もう升田は名人になれないのでは」とも言われていたが、57年にまたも挑戦。4勝2敗で大山を破り、九段・王将と合わせて史上初の三冠王に輝いた。「たどり来て未だ山麓」は名人戦が終わった直後に升田が残した言葉である。
だが大山の巻き返しも速い。58年に升田から王将を奪うと、名人戦でもリターンマッチに挑戦。この時は升田が踏ん張り防衛したが、同年の年末には大山が九段を升田から取り返す。1957、58年の2年間はタイトル戦のカード全てが升田―大山戦だったことを考えると、いかに両者が突出していたかがわかる。
そして59年の名人戦は3期連続で升田―大山戦となり、升田にとって最後の牙城でもある名人も、大山の奪回を許してしまった。以降、升田がタイトルに就くことはなく、升田・大山時代から大山の一強時代へと移り変わる象徴的な名人戦だったと言えるのではないか。