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「死を恐れるのは人間の本能です」10年前、立花隆が“最後のゼミ生”に伝えていたメッセージ

『二十歳の君へ』より #2

2021/06/26
note

 第一にリアリティの細部が伝えきれません。三島の自決の場面がその好例です。またその現実の背景、持っている意味の深さなども伝えきれません。メディアが伝えるものは、いつでもリアリティの皮相の部分だけです。事件の影の部分というか、より深いレベルの真実を知ろうと思ったら、何年かして、その事件に入れ込んだレポーターが当事者たちにディープな取材をして本を書くまで待つほかありません。

 しかも、「事件の影の部分」以上に、この社会には「そもそもの影の部分」というか、闇社会あるいは社会のダークサイドとしか言えない部分があって、そこはそもそもメディアがカバーする範囲に入っていないのです。公安警察が日常的に本来の職務上の監視対象に対して行っている密行捜査などは「表のウラ部分」になります。一般人があまり知らないだけで、公安警察の「表のウラ」的な部分はこの社会のあちこちにあるものです。世の中のナイーヴな人々は、「見ぬもの清し」の原則に従ってそのようなダークサイドはこの世に存在しないと思っているようですが、そんなことはありません。実際は驚くほどたくさん散らばっているのです。

出版記念会での立花さん(1985年撮影) ©文藝春秋

 これから君たちが社会に出ていく際に、決めなければならない重要なことのひとつは、この社会のオモテウラ構造のどのあたりに自分が入っていくかということです。オモテだけしか知らないナイーヴな純オモテ種族として生きていくか、オモテ社会とウラ社会の間を行き来する両生類として生きていくか、それともウラ社会に身を沈めて生きていくか(それも全身どっぷり浸かるか半身だけにしておくか)です。それは、そこを生息圏とするかどうかという問題に留まらず、そこを生息圏とはしないまでも情報圏として活用していくかどうか、あるいは、そこを経済的交易圏として認め、取引関係を保つことを容認するかどうかといったことを含む微妙な問題なのです。

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 君たちの中で、ウラ社会に全身どっぷり浸かって生きていく道を選択する人はおそらくいないでしょうが、これから社会のどの部分に自分の身を置くかによって、かなりの人に、社会のダークサイドと一定の関係を持たざるを得なくなる可能性が出てくるはずです。なにしろ、君たちは知らないでしょうが、日本のGDPの結構な部分が、社会のダークサイドとの交易関係の中で産み出されているのです。いろんな試算がありますし、また「ブラック」「ダーク」の定義によっても違いますが、GDPの1割は楽に越えているはずです。これは日本に限った話ではありません。GDPの1割どころか2割、3割というレベルまで闇世界に侵食されている国がいくつもあります。そういう国、地域は、アジア、中央アジア、東ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中東、アフリカなどに多く、つまり世界GDPの相当部分が闇世界に侵食されているわけです。

 オモテ世界だけを見ていたのでは、世界の現実はほとんど分かりません。実際に社会のどこかに身を置いて経済活動、社会活動を始めれば、どこかでダークサイドと接触せざるを得ないというのが世界の現実なのです。