『魅了されたニューロン:脳と音楽をめぐる対話』(ピエール・ブーレーズ 著 笠羽映子 訳)

 保守と革新。人間の判断や行動を考える際に欠かせぬ対の概念だろう。本書は表向きは、現代音楽についての難しげな鼎談。しかし実質は、保守的態度と革新的態度を、脳についての最新の知見から説明するものだ。語り合うのは現代フランスの二人の作曲家と一人の神経生物学者。

 人間の脳で音楽と言語をそれぞれ司る領域(音楽脳と言語脳と呼んでおく)は、生まれてすぐはっきり分かれてくるという。赤ん坊にオクターヴや完全五度や完全四度や長三度の音程を聴かせると、音楽脳には「堅牢な振幅をもった神経の電気的インパルスの流れ」が生じるという。それら諸音程から出来る音階は「ド・ミ・ファ・ソ・ド」。長調の音階を形成する核心的な音の並びだ。一般に長調は明るく楽しく落ち着いた音楽を作るのに、対して短調は暗く悲しく落ち着かない音楽を作るのに適した音階だと、小学校の音楽の教科書にも書いてあるだろう。神経生物学者のシャンジューは、どうやらそれを人間の遺伝的・生得的性質ではないかと考える。短調に重要な短三度の音程では「不安定な神経の電気的流れ」しか生まれない。いかなる音楽にもまだ親しんでいない赤ちゃんの脳がそう反応するという。

 こうした音楽脳は何のためにあるか。人間が共同体や社会を成すには、人間同士が情動のレベルで深く共感し同感できることが前提になる。敵か味方かを理屈で判断して行動する人間は冷たいと言われるだろう。熱い情動で結び付かねば人間に真の連帯は生まれない。親子や男女なら抱擁や愛撫で情を通わせられる。でも赤の他人ではそうは行かない。そこで音楽。音の感じ方で最大多数に共通感情を作り出すのがいい。

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 そのとき感じ方がばらばらで、同じ音楽を聴いても喜怒哀楽が割れては拙い。だから、音楽脳の性質は、何を聴いたらどんな感情を持つか、変わりにくいようにプログラムされているのかもしれない。

 一方、言語脳は言葉で議論し判断するための脳。理屈を言う。要するに冷たい。しかも生き残りと発展を個人としても集団としても常に考えなくてはいけないから、新しさを本能的に求める。繰り返しは不快なのだ。言語脳の能力が低下すると繰り言にはまる。たとえば酔っ払いだ。嫌われるだろう。でも音楽なら、好ましいリズムやメロディの繰り返しは安心や満足を与える。

 ここに人間の保守性と革新性の根源が想像されてもくる。音楽脳の働きは既成のパターンからはみ出すことを恐れ、言語脳の働きは既成のパターンを繰り返すことを嫌う。音楽脳が保守の、言語脳が革新の力を、人間の精神に供給する。そして両者を往来させ争わせるのは、歌うことと話すことを共に賄う声なのだ。

 あなたの脳は音楽と言語のどちらをより強く働かせているか。

魅了されたニューロン: 脳と音楽をめぐる対話

ピエール ブーレーズ(著),笠羽 映子(翻訳)

法政大学出版局
2017年8月28日 発売

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