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「JK時代は友達のおさがりを着てました。パパはポルシェ買ってるのに!」田原俊彦の娘(27)が明かす、意外すぎる幼少期

「JK時代は友達のおさがりを着てました。パパはポルシェ買ってるのに!」田原俊彦の娘(27)が明かす、意外すぎる幼少期

田原可南子さんインタビュー #1

2021/07/17
note

周りのお父さんと比べると「違うな」と感じたこと

——やはり、“周りのお父さん”と比べると違うなと思うことはありましたか? 

田原 幼稚園の時に、父の日参観があって父が来てくれたんです。クラスの子たちがそれぞれのお父さんに抱っこされている集合写真を撮ったんですけど、いまそれを見ると「あ、パパってカッコよかったんだな」とは思いますね。 

——いまのお話を聞くと、お父様は幼稚園や学校の行事には積極的に参加してくれたようですね。 

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田原 運動会は来てくれました。ちっちゃいビデオカメラを回して一生懸命撮っていました。 

——トシちゃんが運動会なんて聞くと、僕ら世代はマッチ(近藤真彦)やヨッちゃん(野村義男)と出ていた『オールスター紅白大運動会』(1967~1996年にかけてフジテレビ系列で放送)を思い浮かべてしまいますけど。 

田原 私のお父さんとしても、ちゃんと運動会に参加してくれていました(笑)。 

「欲しいものがあるならアルバイトしなさい」

——お父様は、家に仕事を持ち込まないタイプだとおっしゃっていますが。 

田原 昔から、家では仕事の話はしないです。ドライブ中に新曲のオケを流して熱唱することはありましたけど。何度も何度も流しては歌いまくるので、「もう、やめて!」とか「うるさいよ!」とか文句を言っちゃってました(笑)。 

 

——お父様の教育方針は、厳しかったですか? 

田原 小さな頃から、生活態度全般に関しては厳しかったですね。食事中は行儀を良くするとか、時間はちゃんと守るとか。あと、お金の面。

 お小遣いは友達と比べると圧倒的に少なかったし、誕生日以外になにか買ってくれるというのもそんなになかったし。欲しいものがあるなら自分でアルバイトして稼げって高校生の頃から言われて、ずっとバイトしていました。 

——アルバイトは、どういった業種で。 

田原 飲食業が多くて、初めてのバイトはハンバーガー屋さん。一番長くバイトしたのがカレー屋さん。ぜんぶ、家の近所のお店ですね。

 お嬢様ばかりの高校に通っていたので、周りの子は私からしたらありえないくらいの額のお小遣いをもらっていたんですよ。一緒に遊んでいても私だけついていけない感じになっちゃって、見かねた友達が「ウェンディーズ、ごちそうするね」っておごってくれたりして(笑)。