田原俊彦の長女で俳優の田原可南子(27)。 綾乃美花の芸名で芸能活動をスタートするが、“トシちゃんの娘”であることが発覚。
デビュー当初は父について訊ねられるとマスクを着けて黙っていた彼女だったが、 本人としては父・田原俊彦のことを隠したいとはまったく思っていなかったという。
そこから繋がった本名での再出発、芸能界の大先輩である父との関係、 見知らぬ美女と父が談笑していたのを目撃した“カフェ事件”などについて聞いた。 (前後編の後編/前編を読む)
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履歴書が返ってきて、芸能界への興味がバレた
——可南子さんは幼い頃から女優に憧れていて、綾乃美花の芸名で芸能活動をスタートして“ミスマガジン2011”準グランプリに輝いたわけですが、やはりお父様が田原俊彦という環境が芸能界に目を向かわせたのでしょうか?
田原 どうだろうな……。父を見ていたからなのか分からないんですけど、物心ついた頃からあこがれを抱いていて。モーニング娘。を見て「アイドルになりたい」、ドラマにはまって「女優になりたい」とか、フワフワと思っていたんですよ。それで中学生になってからは、オーディションに応募したりして。
——両親のどちらにもご相談せずに。
田原 そうです。やっぱり芸能界は父の場所だと思っていたので、軽はずみに「やりたい」と言えない自分がいて。オーディションの結果を待ってから話したほうが説得力はあるのかなと考えていました。
履歴書をせっせと書いて、デジカメをセルフタイマーにしてプロフィール写真を撮って、パソコンで印刷して、それを履歴書に貼ってとか、自分の部屋でこそこそやっていました。でも、切手が足りなかったのか履歴書が返送されてきてバレたんですけど(笑)。妹はまるっきりタイプが違っていて、普通にOLをやっています。
——履歴書の返送で、ご両親がオーディションを受けていたのを知った時の反応は?
田原 父は「知らない」風を装っていましたね。母は「へぇ、こんなのやってたんだ」と軽く驚いて、そこから私が芸能界に興味を持っているのを意識しだしたみたいで。私がスカウトの方からいただいた名刺がたくさんあって、それをお母さんが管理してくれるようになったんです。
——お母様もモデルをやられているから理解があったんですね。スカウトマンは、原宿とかあの辺を歩いていて声を掛けられるみたいな感じですか。
田原 原宿とか渋谷とか、登下校の途中に駅で声をかけられたりして。名刺をもらっては、母に渡していました。母が父に相談したのかはわからないですけど、そのなかから「ここにしよっか」みたいな感じで以前の事務所を選んでデビューしたんです。高校3年生の時ですね。
「父のことを隠してやっていきたい」と思った事はなかったが…
——芸能活動を始める際に田原俊彦の名を出さなかったのは、どういう気持ちからですか? 平凡な家に生まれ育った僕らのような者からすると、そのあたりの心境がわかるような、わからないような感じなのですが。
田原 ミスマガの時は、あえて私が父のことを黙っていたように見えていたかと思うんです。でも、なにも考えていなかっただけなんですよ。当時は漠然と「事務所に入りたい」「有名になりたい」と思っているだけで、事務所に入ればどうにかしてくれるだろうという人任せ的なところがあったんです。
いま思えば、ものすごく甘いというか、子供でしたね。だから、事務所に入ったところで満足しちゃって、芸名はこれとか、ミスマガに応募するとか、父のことは伏せていくとか、すべて言われるがままにやっていたんです。私が父のことを隠してやっていきたい、自分の力で頑張りたいみたいに書かれましたけど、そんなこと一言も言っていないんですよ。