今年7月、グラビアオーディションの記者会見で、俳優・内田有紀の20歳年下の妹だと明かし、大きな注目を浴びたタレントの澪奈(29)。
そんな彼女に「エキストラの逃げる人もやった」という地道な芸能活動から、姉が内田だと明かした理由、さらにその後の反響で「売名」と言われたことへの思いについて聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)
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芸能活動では食べていけずコールセンターから墓掃除までバイト三昧
――日本大学芸術学部映画学科演技コースに入った澪奈さんですが、芸能活動はどうしていたんですか。
澪奈さん(以下、澪奈) 高校時代に小さい事務所に入って、オーディションには何件か行かせていただいたんですけど、大学に入る直前で事務所がなくなってしまったんです。
ただ大学2年生のときに、区の掲示板をたまたま見たら中央区観光大使「ミス中央」の募集が貼ってあったんです。昔からポスターなどで見ていたので、やりたいなと思って受けたら合格しました。
観光大使になると、5年ぐらいは定期的に仕事があるんですよ。1年がミスの任期で、あとの4年は歴代のミスとして色々と呼んでもらえるんです。フジテレビの三上真奈アナも歴代のミス中央にいらっしゃって、私としても誇りに思っていたんですが、コロナ禍になって観光大使自体がなくなってしまったんです。なくなったことで、自分のアイデンティティが欠けるような感覚はありましたね。
――大学卒業後は芸能の道に進みますが、心配はなかったんですか。
澪奈 両親には「就職しなくていいのか」ってすごく心配されました。ただ、みなさん信じがたいと思うんですけれど、演技コースって30人のうち卒業後に就職するのってほんの数人なんです。普通の企業に就職した子がいると「えっ、やめちゃうの? もったいない」と思われちゃうような環境だったので。
だから先についてそんなに不安に思っていなかった部分はありました。先ほど話した観光大使の仕事もありましたし、どんな現場にも行ってましたね。 エキストラの逃げる人とかもやっていました。
――大学卒業後は実家暮らしですか?
澪奈 22歳の頃に親が家を売って最初は山梨の鳴沢村に、その後静岡の伊東に引っ越したんです。そのタイミングで1人暮らしを始めました。





