親が“大物”や“スター”と呼ばれる芸能人やスポーツ選手の子供たち。 いわゆる“二世”は、どのような環境に身を置き、どのような思いを抱いて親を見つめ、 どのようにして自身の進むべき道を見出したのか?
田原俊彦の長女で俳優の田原可南子(27)は、 自分が“トシちゃんの娘”であることを特に意識せずに幼少期を過ごしたという。 その一方で、豪華な家に住んでいるのにバイト漬けを余儀なくされた青春時代については いまだに不条理なものを感じ続けている。
かつて、バラエティ番組で「(父が田原俊彦で)不幸かもしれないんですけど」と語っていた彼女に話を聞いた。 (前後編の前編/後編を読む)
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「このおじさん、誰?」「ジャニーさんだよ」
——自分の家が“芸能人の家”だと意識するようになったのは、いくつくらいからですか?
田原 小学校に入ってですね。家族揃ってリビングで晩ごはんを食べながら、よく歌番組を見ていたんですよ。懐メロのコーナーになると昔の父が出てくるので、目の前でご飯を食べている父とテレビの画面にいる父を見比べて「エッ? エッ?」みたいな感じになっていましたね。
あと、家族総出で父のディナーショーを見るのが毎年の恒例行事になっていて、行くとファンの方々が「キャーッ!」と手を振るので「パパって、なんだか凄いんだなぁ」とは思っていました。
——親の昔の写真が出てきて驚くみたいな場面は我々もありますけど、田原家ではテレビで若かりし頃のお父様の姿を見ていたという。
田原 写真はほとんど飾ったりしていませんでしたね。唯一、和室に飾ってあったのが、レーガン大統領と一緒に写っている写真。大事そうに額縁に入れてあって、父、大統領と奥さん、その横に知らない男性が写っていて。小さい時に「このおじさん、誰?」と父に聞いたら「ジャニー(喜多川)さんだよ」って。
——とてつもないシチュエーションの写真ですけど、他にお父様が芸能人だと窺わせるものは目につくところには置いていなかったのですね。
田原 納戸にいろんなトロフィーがしまってありました。日本レコード大賞とか。そういうのを見つけると「なんなんだろう?」と気になりましたけど、やっぱりテレビにバーンと父の姿が流れるのが一番インパクトがありましたね。
——家のなか以外で、ご自身が他の家の子供とは違う環境にいることを気づくきっかけになったものはありましたか?
田原 家が大きすぎるなと感じたことかな。私、小学校までは公立で、校庭を駆け回っているめちゃめちゃ普通のガキンチョだったんですよ。友達もいっぱいいて、いろんな子のおうちに遊びに行っていて。でも、遊んで家に帰ってくると「あれ? うちって大きいな。なんか変だな」と思っていましたね。
——「田原俊彦の娘だ」みたいな視線も感じることなく。
田原 田原俊彦の娘っていうふうに理解されてはいたと思うんです。だけど、誰も色眼鏡で私を見なかったし、私自身も変に意識をすることもなかったので、そういう視線を感じたことも、妙な空気が漂うなんてこともなかったです。
——ジェネレーションの差もありそうですけどね。
田原 そうかもしれないです。仲良しの子のおうちに遊びに行くと、その子のお母さんに「可南子ちゃんのパパは本当にかっこよかったのよ~」って言われることがあって。でも、「ああ、そうなんだ。うれしいな」くらいの受け取り方でした。とにかく深く考えてなかったです。