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「LGBTQを一種のムーブメントとして描くのは、私の漫画は違うかなと」 人間の“グラデーション”をおかざき真里が感じた、小学3年カナダでの“経験”

おかざき真里さんインタビュー#2

2021/07/30
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 もう少ししたら、また別のグラデーションの中にいるエピソードを入れる予定なんですけれども、でもLGBTQを一種のムーブメントとして描くのは、私の漫画は違うかなと思っていて。もしかしたらもっと強い表現で、ハッキリ言った方が漫画の商売としては良いのかも知れないのですけど。あえて淡々と、「グラデーションの中でいい。どちらかにふれなきゃいけないわけじゃない」ということを淡々と大事に描きたいと思っています。

©iStock.com

──違っていいし、マイノリティでもいいと。

おかざき はい。そう思うのは、私自身がマイノリティだった経験があるからかも知れません。

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それぞれの役割

 私は小学校3年生の頃、父の仕事の都合でカナダに住んでいました。キラキラ帰国子女ではなく、研究者の貧乏海外でこぼこ生活でしたけど(笑)。校長先生がフランス人で担任の先生がドイツ人、クラスにもインド人やインディアンなど世界各国からいろんな人種の方がいて、自分は全然世界の真ん中じゃないんだなと思って育ちました。

 授業は英語で、フランス語の授業もあって、言葉がわからない私は理解度も遅かったんです。でも家で日本のカリキュラムを受けていた私は、算数の進みが早かった。その頃から絵も好きだったので、「黄色人種」「日本人」「英語ができない子」ではなく、「算数と絵が描ける子」として認めてもらえました。ほかのクラスにもいろんな子がいましたが、それぞれの役割があったんですよね。まあ、教室を離れたらひどい差別扱いもうけましたけれど。

「違うんだね」と当たり前に思える世界

 日本に帰ってきてからも、「外国から来た人」みたいな扱いを受けたりして結構大変でした。でも、「自分はマイノリティである」というある種のアイデンティティみたいなものがあるので、あまり辛く感じませんでした。「みんな違っていい」とか、「マイノリティも尊重しよう」とか大げさなことではなく、「違うんだね」と当たり前に思える、そんな世界を描いていきたいと思っています。

──英治のセリフで、「うまい、うまい言うだけで時間が過ぎるのは最高の贅沢」「オイシイ タノシイ オモロイのが大事。“生き方”という総括はしなくていい」という名言があります。これは、おかざきさんの人生信条でもあるということでしょうか。(第1巻3話より)