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「LGBTQを一種のムーブメントとして描くのは、私の漫画は違うかなと」 人間の“グラデーション”をおかざき真里が感じた、小学3年カナダでの“経験”

おかざき真里さんインタビュー#2

2021/07/30
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昔から自分をふり返るのが好き

おかざき 私は昔から頭の中で人生の時間の円グラフをつくって、自分をふり返るのが好きなんです。たとえば子どもに対してすごい怒っちゃったりするじゃないですか。そうすると「ああ、いま円グラフに“怒り”の部分が増えた」と思うんです。円グラフのなかでポジティブな部分を増やしていくことが、人生を楽しむコツなので、「たのしい」「おいしい」「オモロイ」「うれしい」というように、できるだけいい時間の割合を増やす運動を1人でしています。“生き方”って結局その円グラフの割合に過ぎないんじゃないかなって。

 死ぬときに、「円グラフで幸せの時間が大きかったからいいや」と思って終われたら最高ですよね。なので、ご飯を食べるときもなるべく「おいしい、おいしい」と口に出して言うようにしています(笑)。

 ──『かしましめし』の主人公3人が再会したのは、同級生のお葬式でした。「食べる」ことは生きることでもありますが、あえて「自死」を描いたのは、「生きる」ことの対極にあるからですか。

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©おかざき真里/祥伝社フィールコミックス

おかざき 「食べていれば生きていける」というのを描こうと思ったときに、モチーフとして「死」が浮かんだ、というのはあります。でも「食べること」がイコールすべて「生きること」だとも思っていなくて。たとえば、第1巻6話で、千春がジャンクフードを食べる自分を「ゆっくり自殺しているみたい」と表現するシーンがあります。体に合わなくてしんどくなるけど食べたくなるジャンクフードや、私が毎日飲酒をすることは、ある意味「緩慢な自殺」だと思うんです。

何をどう食べるか、誰と食べるか

 それでも、お酒をいただくのは私にとっては楽しいことなので、「人生の円グラフ」に描いてみると、まわりに迷惑をかけなければ「オイシイ、タノシイ、オモロイ」に入ります。結局、何をどう食べるか、誰と食べるか、ということなのかもしれませんね。

──どんな相手となら「おいしい、おいしい」だけで時間を過ごせるのでしょうか。おかざきさんが一緒に食事をするときに大事にされていることを教えてください。

おかざき 私の中で、「ご飯を一緒に食べて差し支えない相手が友だち」という感覚があります。食べることって、結構人間の本質が見えると思っているんです。だから、恋人未満の相手やよく知らない相手との食事って疲れるじゃないですか。そういう意味だと、私はジャッジをされる人とご飯を食べるのは、すごく苦手です。