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なぜ“情報は21世紀の石油”なのか? 桜井俊・元次官が語る「ICT×地方創生」

情報通信技術政策のプロが考える日本の未来

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「電話は75年、ポケモンGOは100日」この40年の情報革命

――桜井さんが郵政省、総務省にいた間の約40年で、情報技術はものすごいスピードで進化しました。この40年の情報通信革命を、どのように振り返りますか?

桜井 大きく言えば、最初の20年は音声通信、つまりは電話の世界ですね。電電公社からNTTに民営化された当時、私は電気通信部の課長補佐として奔走していましたね。電話通信事業に競争を導入して、料金を下げていくというのが最初の20年の大きな仕事でした。

――NTTドコモが設立されたのが92年のことです。国際経済室長をされていたのは……。

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桜井 貿易摩擦の頃ですから、その少しあとの93、94年ですね。携帯電話の通信システムがアメリカとヨーロッパと日本の3つある時代で、その覇権争いみたいな感じもあったわけです。国際交渉の席に着くために、あの頃は年に10回以上はワシントンに出張していました。昔のことだから、ずいぶん忘れてしまいましたが(笑)。それこそ、ポケベルの時代。数字を組み合わせてメッセージを送っていた時代があったんですよ。212で「は」でしたっけ?

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――今から考えると、暗号のような世界ですね。

桜井 それが今ではスマホで動画も簡単に送れるわけでしょう。5000万ユーザ獲得まで、メディアはどれだけ時間がかかったか、という資料があるんですけどね。電話が75年。ラジオは38年。テレビは13年。インターネットで4年。LINEになると399日。

――飛躍的に短くなっていきますね。

桜井 ポケモンGOが100日。やはり、インターネットの登場が大きいです。前半の20年が電話であるならば、後半はインターネットによる技術革新との20年でした。情報のグローバル化もこれに伴うわけですね。ミレニアム・バグの懸念が言われたのが2000年。

 

――2000年になるとコンピュータが誤作動を起こすと、世の中がざわつきました。

桜井 余談ですが、99年から2000年になる年越しは霞が関で過ごしたのを覚えています。何か起きたら対応しなければなりませんから、省内待機して。シドニーは平穏に過ぎました、なんていう報告を受けて「ああ、これは大丈夫かな」と安心したり、まだ油断できないと心配したりの落ち着かない年越しでした。

――ミレニアム・バグ対策に采配を振っていたのですね。

桜井 いえ、采配は振ってません。心配はしてましたが。

――パソコンとスマホを初めて本格的に使った国勢調査を実施されたのは、桜井さんが次官のときでした。

桜井 平成27年の国勢調査ですね。たまたま、私のときだったというだけですが、担当の統計局の方にお聞きすると、40%近くの方がパソコンないしはスマホで協力してくださったと。初の試みにもかかわらず、これだけ多くの回答がネットで返ってきたことは、非常に画期的なことだと驚いていましたね。私もスマホで回答したんですが、用紙に鉛筆で書き込むよりはるかに楽でしたよ。