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ネタバレ注意!!
1年後の『シン・ゴジラ』 何度観ても面白い。

石動 竜仁
2017/11/12

矢口蘭堂が35キロ歩いてたどりついた、臨時政府・立川防災合同庁舎9つの秘密

災害対策本部予備施設を徹底解説する

矢口蘭堂と巨災対が“根城”にした首相官邸6つの謎」では『シン・ゴジラ』前半の舞台となる首相官邸について紹介したが、続いて後半の舞台となる災害対策本部予備施設を紹介したい。

(1)首相官邸が使用不能になったら?

 首都直下地震等で首相官邸が使用不能となった場合、官邸に設置される災害対策本部はどうなるだろうか? こういった事態を想定して、あらかじめ代替施設が複数定められている。

 第一の代替施設は、内閣府や内閣官房が入居する中央合同庁舎第8号館だ。しかし、8号館は官邸と道を挟んで隣接しており、官邸と似たような被害を受ける可能性が高い。

中央合同庁舎第8号館(中央) ©石動竜仁

 中央合同庁舎第8号館が使用出来ない場合は、市ヶ谷にある防衛省の中央指揮所に災害対策本部を設置することになっている。中央指揮所は事実上の自衛隊最高司令部であり、劇中でも自衛隊の幕僚たちが対ゴジラ作戦を議論しているシーンが出てくる。

 中央指揮所は防衛省A棟の地下に建造されており、陸海空の3自衛隊の指揮通信システムに連接するとともに、米軍との通信手段も備えるなど、高度な通信設備を持っている。

市ヶ谷にある防衛省A棟 ©文藝春秋

(2)都心一帯が壊滅したら?

 では、都心一帯に甚大な被害が生じ、市ヶ谷の中央指揮所も使用不可能になった場合はどうだろうか。この場合は、立川市の立川広域防災基地に設けられた災害対策本部予備施設を使用することになっており、劇中後半でも巨大不明生物特設災害対策本部はここで活動している。

 立川広域防災基地の敷地は、元々は旧陸軍の立川飛行場だった。これが戦後米軍に接収され、長らく在日米軍立川基地として使用されていたものが、1977年に日本側に全面返還され、その跡地利用として、国営昭和記念公園の造園と立川広域防災基地の整備が進められた。立川は地質的に安定した洪積台地上にあるため、地震に対しても強いと考えられており、都心まで30kmという距離から、災害時には応急対策の拠点となるべく立川広域防災基地は整備されている。

 基地内には陸上自衛隊の立川駐屯地、警視庁、東京消防庁といった災害時に救援に当たる組織の他、国立病院機構災害医療センター、日本赤十字社の血液センターといった医療関係施設が設けられている。そして、災害対策本部予備施設のある立川防災合同庁舎もこの立川広域防災基地の一角にある。

劇中では臨時政府の舞台となった立川防災合同庁舎 ©石動竜仁

(3)臨時政府の舞台、平時はどう利用されている?

 立川防災合同庁舎は、地上2階地下1階の本館と、地上3階の新館の2棟から成っている。建物内部は、内閣府が所管する予備施設の他に、国土交通省の営繕事務所としても平時から利用されているが、建物の大きさと比べて国土交通省の事務室はわずかで職員も少ない。

 しかし、国の施設のメンテナンスを行っている営繕事務所は、災害の際は庁舎の被害状況を確認するといった役割を担っている。平時の予備施設は防災知識の普及を行うための設備として使われているが、前回出てきた『そなエリア東京』と異なり、一般に公開されているのではなく、防災関係者の訓練等が中心だ。

 では、建物内部を見ていこう。本館2階には、災害対策本部の会議室がある。ここでは対策本部長を始めとした対策本部員が、災害応急の方針を定めるところだ。

災害対策本部の会議室 ©石動竜仁

(4)2つの椅子が微妙に異なるわけ

 大震災級の極めて激甚な災害の際設置される緊急災害対策本部(これまで東日本大震災以外に設置されてない)では、全閣僚が本部員となるとともに、首相が対策本部長に就くことになっている。予備施設が使われるような事態になれば、まず緊急災害対策本部が立ち上がっていると見ていい。このため、会議室に並ぶ椅子は、2つだけ変わったものがある。写真でよく見てみよう。

中央2つの椅子は、微妙に大きさが異なる ©石動竜仁