文春オンライン
「ヨーランとリーゼントを歌った横浜銀蝿は全員大学まで通っていて…」 80年代のヤンキーが“ヤンキーではなかった”横浜銀蝿に憧れた理由

「ヨーランとリーゼントを歌った横浜銀蝿は全員大学まで通っていて…」 80年代のヤンキーが“ヤンキーではなかった”横浜銀蝿に憧れた理由

2021/09/17
note

竹槍マフラーのように車を尖った方向に改造するのが偉いとか

――では、80年代のヤンキーに支持されたミュージシャンが「横浜銀蝿」であることも踏まえて、当時のヤンキー性がどんなものだったと言えるでしょうか。

斎藤 一言で言うと“バッドセンス”でしょう。今日のヤンキーにも通ずるバッドセンス性が全面化した時代ですね。それは「横浜銀蝿」の楽曲の歌詞に出てくるようなライフスタイルやファッションに象徴されています。バッドセンスではあるんだけども、どこか憧れる存在……というような、ヤンキーへの相反する感情は、80年代以降に生まれたものなのではないでしょうか。

1997年10月、活動を再開した横浜銀蝿

 ヤンキーたちの間で共有している“ヤンキーらしさ”のなかで、その極端さを競い合うようなカルチャーがあったことが、バッドセンスが増していった要因でしょう。より長い学ランを着るのが偉いとか、シャコタン、竹槍マフラーのように車をより尖った方向に改造するのが偉いだとか……。いかにして目立つかというような競い合いを続けた結果、バッドセンスが強調されていったのでしょう。

ADVERTISEMENT

(文=福永全体/A4studio)

【続きを読む 「BOØWYの『Marionette』は矢沢永吉にも通ずるヤンキーの価値観の曲」 KGDR、Dragon Ash、浜崎あゆみはなぜ“ヤンキー”に愛されたのか】

「ヨーランとリーゼントを歌った横浜銀蝿は全員大学まで通っていて…」 80年代のヤンキーが“ヤンキーではなかった”横浜銀蝿に憧れた理由

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー