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連載昭和事件史

「シベリアで魂を売った」「手先になった日本人は誰か」暴露を続けた極北の“スパイ”とその最期

「シベリアで魂を売った」「手先になった日本人は誰か」暴露を続けた極北の“スパイ”とその最期

ラストボロフ事件 #2

2021/11/07
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 同書によれば、1951年9月から自首するまで、約40回にわたり、日本の再軍備や米軍関連情報などをラストボロフに提供していたという。田中二郎・佐藤功・野村二郎「戦後政治裁判史録2」によれば、情報提供は月1回、計30回にわたり、現金50万円(現在の約356万円)を受け取ったとされる。

「シベリアで魂を売った幻兵団」

 読売の記事には“幻兵団”という名称が登場する。シベリアに抑留された日本の将兵に対するソ連のスパイ工作については前から知られていた。

 口火を切ったのは、1949年5月の参議院在外問題引揚特別委員会。抑留中の日本人向けに発行されていた「日本新聞」の元編集長が、ソ連側が各収容所で日本兵の中からスパイ要員を選抜していたことを証言した。

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「幻兵団」の存在を報じた読売

 読売は翌1950年1月11日付朝刊社会面トップで「シベリアで魂を賣つ(売っ)た幻兵團(団) 内地まで背負いこんだ スパイと合言葉 人知れず悩む引揚者数千」という見出しの特ダネ記事を載せた。

 シベリアから異例の冬期引き揚げの朗報がもたらされ、37万のうちいくばくかは近く故国の土を踏むだろうが、その中にはこの喜びを楽しまぬ人々もかなりいることであろう。現に内地に帰っているシベリア引き揚げ者の中に、誰にも打ち明けられぬ暗い運命をかの地で背負わされたと信じ込み、日本の土の上で生命の危険を懸念しながら、独り煩悶している者が多数いるという奇怪な事実が明らかになってきた。

 ほかでもなく、シベリア抑留中、銃口の前でソ連のために一種のスパイ(一般的概念の国際スパイ団などとは異なっているかもしれないが)になることを強要された人々のことだ。

 記事はそう書いた後、数人の元抑留者を取材した結果「奇怪な一種の組織の輪郭が浮かんできた」として次のようにまとめている。

(1)この組織は22(1947)年中にシベリアの各収容所において要員が選抜され、一人一人誓約書を書かされて結成されたこと

(2)これらの組織の一員に加えられた者には少なくとも4階級ぐらいあること

(3)階級は信頼の度と使命の内容で分けられているらしいこと

(4)使命遂行の義務をシベリア抑留中、既に終えたと思われる者と、現在内地に帰ってからも続いていると思われる者がいること

(5)こうした運命の人が少なくとも内地に数千人いると思えること

(6)内地におけるこれらの組織が既に活動を開始しているか、準備期であるのかについての確証は握れぬこと

万葉集の歌を合言葉に

 記事は、実際に収容所でソ連軍将校に銃で脅されてスパイになることを強要された元准尉の「当時の状況では、それを拒否することは死を意味していた」とする証言を紹介している。 記事には「三田記者」という署名がある。三田和夫記者で、彼は1955年に出した著書「東京秘密情報シリーズ第1集 迎えにきたジープ」で、自分もシベリア抑留者でスパイ工作を受けたことを告白。「幻兵団」は7万人に上ると書いている。