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連載昭和事件史

「シベリアで魂を売った」「手先になった日本人は誰か」暴露を続けた極北の“スパイ”とその最期

ラストボロフ事件 #2

2021/11/07

 外務省と公安調査庁の発表とほぼ同じころ、アメリカ・ワシントンでも動きがあった。こちらは朝日の紙面。

米、亡命受け入れ発表 ラ氏 おおげさな会見

【ワシントン=中村特派員13日発】米国務省は13日午後8時(日本時間14日午前9時)異例の夜間記者会見を行い、「米国政府は元駐日ソ連代表部政治情報部員ユリ・A・ラストボロフ氏を政治亡命者として受け入れることを決定。13日、スミス次官がザルービン駐米ソ連大使にその旨通告したが、同大使は米国政府の通告書受け取りを拒絶し、大使自身はもちろん、大使館の代理者をも国務省を訪問させなかった。なお、この事件に関し、日本政府も事前に通告を受けている」と発表したのち、ラストボロフ氏自身を紹介。記者団との間に一問一答を行わせた。

 この夜、国務省は各国人記者一人一人に電話で「日本にも関した重大発表を行うから」との招待を行い、ダレス長官の記者会見にのみ使用される同省大講堂でサイダム・スポークスマンがこれを発表した。

 集まった100人ばかりの記者団の前で、ラストボロフ氏は真新しいグレーの夏服をはじめネクタイ、短靴など、すっかりアメリカンスタイルに身を包んだいでたちで、東京から失跡の顛末を書いたステートメントを、はじめロシア語、次に英語で読み上げたのち、記者団の質問に答えた。6尺(約182センチ)豊かな長身は十分な栄養を思わせるほど活気に満ち、冗談をところどころに織り交ぜながら、国務省によって準備された通訳の助けをしりぞけ、ほとんど全部を英語で答えた。

「これまで7か月間にわたって米官辺筋の保護を受けた。自分の知る限りの情報を提供した。東京での情報活動は日本政府筋からも取得していて、全てモスクワへ送っていた。日本の官辺といっても、それほど高級な相手ではなく中級の官吏からであった」ことなどを明らかにしたが、この記者会見には、ソ連のタス通信のワシントン特派員は姿を見せず、カメラマンも招待されなかった。

 ラストボロフの記者会見は、朝日の一問一答を見てもほとんど質問に答えておらず、朝日も「あまり内容はなかった」とした。カメラマンは出席せず、ラストボロフの写真は一切紙面に載っていない。

 元スパイだから当然ともいえるが、松本清張「ラストブォロフ事件」(「日本の黒い霧」所収)は、現れたのは本当にラストボロフ本人だったのかという疑問を投げ掛けている。

ラストボロフの写真と署名(「週刊読売」より)JPG

「私がラストボロフと連絡していました」と自首した男は…

 日本の岡崎勝男外相は記者会見で「日本人関係者の名前は言えないが、局長以上の政府高官は関係していない」と言明。対して読売は社会面トップで「赤色スパイの手先き 『幻兵団』の志位元少佐 米ソ両方に操られ自首」の見出しで日本人関係者について報じた。