スパイというと、「007」などの映画や小説の世界を想像し、身近な存在と思えないのは、戦後日本の「平和ボケ」と言われるだろうか。
戦前にはゾルゲ事件という大規模なスパイ事件があったが、今回のラストボロフ事件は戦後最大のスパイ事件とも呼ばれる。ただ、その実態は発覚から67年たったいまも定かでない。というより、事件の“評価”がマチマチで定まっていないというべきだろう。それこそがスパイ事件の特徴といえるのかもしれない。そして、スパイそのものはいまもさまざまな形で存在し、多くの人間が気がつかない中、暗躍を続けているのだろう。
今回については、新聞報道はもちろん、政府の発表から研究者の論考さえ、100パーセント信用していいと言い切れない。そのつもりで読んでほしい。われわれがこうした事件から学ぶことがあるとすれば、事実とされるどんなものも、頭から信じ込むのではなく、いろいろな角度から考えてみる必要があるということだろうか。一部「ジュリー」「ラストヴォロフ」という表記が見られるが、見出し以外は「ユリ(・A)・ラストボロフ」で統一する。今回も敬称を省略する。
「二等書記官でユリ・A・ラストボロフという者はいるが、行方不明かどうかは言えない」
1954年は不思議な年だった。この「昭和事件史戦後編」で取り上げただけでも「第五福竜丸事件」「造船疑獄」「洞爺丸事故」がある。日本が独立を回復して2年。朝鮮戦争の特需で日本の経済状況に明るさが見えてきた一方、政治状況は安定せず、冷戦の深刻化の中で自衛隊が発足。原水爆禁止運動に代表される平和運動が起きるなど、戦後の転換点を感じさせる時代相だった。
そんな年が始まった1月の末、事件は突然表面化した。紙面を見る限り、報道は毎日が先行したようだ。1月28日付朝刊社会面トップの記事だった。
元ソ連代表部二等書記官姿消す 政治的な亡命か 警視庁へ秘かに捜索願い
27日、警視庁公安三課に在日元ソ連代表部から同部二等書記官ユリ・A・ラストボロフ氏の捜査願がひそかに出された。同部では、ラストボロフ二等書記官は24日以来行方不明となっており、精神異常で自殺の恐れがあると届け出ているが、政治的亡命ではないかと見られている。公安三課では直ちに管下各署に手配した。
記事には2つの談話が添えられている。
元ソ連代表部宿直員談 二等書記官でユリ・A・ラストボロフという者はいるが、行方不明かどうかは言えない。
外務省欧州参事官・寺岡洪平氏談 27日の午後、失踪の報告を警視庁から受けた。ベリヤ事件などに関する政治的亡命ということも考えられる。