先祖も夢見た徳川埋蔵金を掘り当てるため、1日6時間も穴を掘り続けたトレジャーハンターの水野智之さん。テレビでも取り上げられて有名になった彼は、その後どうなったのか? 報道カメラマンとして活躍する橋本昇氏の新刊『追想の現場』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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3代目の水野智之の挑戦
2代目義治氏の死後、3代目として後を継いだのが智之さんだった。週刊誌からの依頼は、「赤城山山中で400万両、時価にして2兆円の徳川埋蔵金を掘り続けている男がいる。それを写真に収めてほしい」とのことだった。群馬県渋川市赤城町に住む智之さんに連絡すると、「どうぞおいでください」と二つ返事だった。
住所を頼りに家を探し回るもなかなか見つからなかったが、木に囲まれた民家を訪ねたとき「水野」の表札があった。声を掛けたが返事はない。ふと見ると家の敷地に土が掻い出されたような跡があり、よく見ると直径3メートルの穴が空き、下に梯子が伸びている。「水野さーん!」と大声で呼ぶと、しばらくして頭に土をかぶった水野さんが梯子を上ってきた。
彼の案内で掘削現場へと降りた。智之さんはスコップを持ち、穴のどんずまりへ進み、天井を軽く削った。穴は少しジメジメしており、ゲジゲジもいそうだ。ストロボの閃光の中に智之さんの鬼気迫る顔が浮かび上がった。
聞けばこの作業を毎日6時間くらい続けているという。穴掘りはとても危険で、落盤事故がないように慎重に進めなければならない。智之さんは毎日、作業する前に「よっしゃ!」と掛け声をかけ、1メートル掘れば掘るほど埋蔵金に近づく、と自らに言い聞かせて作業に入るそうだ。
彼を一躍有名にしたのがテレビだ。1990年6月、テレビ局はプロジェクトチームを組んで水野家へ乗り込んだ。そしてブルトーザーやユンボを使い大々的な掘削作業を放映した。挙句にはおどろおどろしいナレーションを交えながら今にも出てきそうな雰囲気を煽った。だが、これはテレビ局の娯楽番組だ。
出てこないのは百も承知で番組は構成されていたらしい。