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連載昭和事件史

2021/11/07

別の諜報事件にも関係?

 毎日は第一報の段階でこうしたことは読めていたはずだ。朝日には細かい事情が載っている。

 当局によると、さきに北海道で行われた世界スケート選手権大会にソ連代表としてコンスタンチン・クルーピン団長以下15名が来日したが、その中に在日元代表部情報部員で大会には副団長格で来日したアナトリ・ロザノフ氏(32)が加わっており、同氏だけが、さる22日帰国した代表団一行には加わらず、一人在日元代表部に残留した。その後、さる23日夜、羽田出発香港経由の英国機に、ロザノフ氏と行方不明になったラストボロフ氏の座席が申し込まれていたが、ラストボロフ氏の出国査証は外務省に提出されず、ロザノフ氏1人が23日夜、羽田から出国し、ラストボロフ氏は代表部から姿を消したという。当局では、この間の事情について次のような見方を立てている。

(1)捜索願の通り、ラストボロフ氏は神経衰弱で、自殺か何かの目的のために代表部を無断で逃げ出した

(2)ベリヤ追放のあおりをくい、ソ連国内で処分するため、ロザノフ氏がラストボロフ氏を連行しようとしたが、危険を感じて政治的亡命を企てた

(3)数年前に在日米軍航空一等兵(特に名を秘す)が、金欲しさから当時のソ連代表部に米軍の秘密情報を売り込みに行った際、折衝に当たったのがラストボロフ氏で、その後、同氏はある程度、米情報機関との接触もあったといわれ、この点で日本国内に張り巡らされたソ連情報当局に追及されるのを恐れ、米情報機関に進んで身柄を保護されている

 元ソ連代表部も警視庁公安も、既に(1)ではなく(2)と(3)だとほぼ断定していたに違いない。この段階でほぼ事件の概要は見えたといえるだろう。

 毎日は1月29日付朝刊でも続報を載せた。見出しは「ラストボロフ“鹿地事件にも関係” 都内、関西にアジト 婦人関係もかなりある」。「在日米軍権威筋」の話として、ラストボロフは軍事専門のスパイで「鹿地、三橋事件にも関係があったようだ」とした。

 鹿地事件とは次のようなものだ。1951年11月、プロレタリア作家・ジャーナリストで戦争中、中国で反戦活動をしていた鹿地亘(ペンネーム)が静養中、アメリカ人に誘拐され、1年余りのちの1952年12月に帰宅。アメリカ諜報組織「キャノン機関」にソ連のスパイだと自白を強要されたと訴えた。直後に無線技師の三橋正雄が「アメリカとソ連の二重スパイだった」と名乗り出て鹿地を告発。国会でも対決したが、論争に決着はつかなかった。2人は電波法違反に問われ、三橋は懲役4月。鹿地は長い裁判のすえ1969年に無罪が確定。戦後の謎の諜報事件の1つとされる。

「氏は在日アメリカ情報機関に連れ去られ、抑留されていると思われる」

 2月2日付朝日朝刊は1面4段、写真入りで次のように報じた。

元ソ連代表部の発表を伝える朝日

“ラ書記官抑留さる”元ソ連代表部発表 在日米情報機関に

 元在日ソ連代表部(東京都港区麻布狸穴町)は1日午後4時、「先月24日から行方不明になっている同代表部二等書記官ユリ・A・ラストボロフ氏は在日アメリカ情報機関に連れ去られ、抑留されていると思われる」と次のような声明を発表した。