1967(昭和42)年11月。いまから60年近く前、28歳で銀座のクラブのマダムにのし上がった女性が金のもつれなどから23歳の男に殺され、バラバラにされて各所に捨てられた。当時の時代の空気、殺害された女性「M」の実像、そして犯人の男「K」に下された判決は……。

 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全3回の3回目/はじめから読む

事件を受け、「夜の蝶」の実態を取り上げた記事も(内外タイムス)

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「ホステスとしての才腕は超一流だが…」

 当時、“軟派”で知られた夕刊紙・内外タイムスは11月8日発行9日付で「“銀座マダム”に落とし穴」という記事を載せている。

 Мのお通夜が7日に自宅で行われたとし、同じ夜、マダムを務めた銀座のクラブでもホステスたちが黙とうを捧げたとした。「1人の美人のトップマダムはなぜこんなむごい殺され方をしたのか。ネオン街で自分の意思通り、ホステスからマダムまでを生きた彼女の横顔を浮き彫りにするとーー」として次のように続ける。

「“銀座マダム”に落とし穴」といった記事も(内外タイムス)

 Mさんが銀座東8丁目のクラブ「ブラックタイ」にマダムとしてスカウトされたのは昨年11月。同店のオープンと同時だった。“1億円の女王”と銀座、赤坂界隈のネオン街で評判の社交女性だっただけに、スカウト料も150万円(現在の約613万円)。マダム・スカウト料の銀座の相場は、売れっ子で50万~60万円(同約204万~245万円)というからずば抜けた額だった。同店のホステスは約40人。その陣頭に立っての勤務ぶりはなかなか“行動的”。複数の席を“蝶のごとく”飛び回っても客の気分を損ねない手腕を持っていた。月収は40万~50万円(同約163万~204万円)だったという。同クラブの営業部長は言う。

 

「ホステスとしての才腕は超一流。が、マダムとしては背伸びしていた感じ。残念ながら、ホステスの掌握という点が欠けていた」

 

 赤坂の「ニューラテンクォーター」ホステス時代、Mさんをひいきにしていた客の中には某宮様もいて、彼女が「ブラックタイ」に移ってからも時折出掛けたほど。女性としてのМさんは「熱しやすくさめやすいタイプ」だったようだ。「ママを取り巻く男性はお金持ちばかり。『持たざる者は去れ』というガメツイ面もありましたが、かなり“面食い”でもあったようです」と同店のホステス嬢。Мさんが赤坂に「ロイヤルパレス」というサパークラブを出したのが昨年6月。家賃月30万円(同約123万円)。ボーイばかり6人の高級ムードのクラブだったが、「採算は採れていたようだ」と「ブラックタイ」の営業部長。

 

 月収にパトロンからのかなりの収入、サパークラブも堅調となると、Мさんが金に困っていたとは不思議だが、事実である証拠に、取引銀行の預金残高はわずか35万円(同約143万円)。逆に170万円(同約694万円)も借りているほど。同時に「ブラックタイ」でも10万~50万円の借金もしている。“1億円の女王”の評判がわびしくなるような話だが、「多分に誇張されていて、見栄が生んだ虚像」と見る向きもある。

 

 身長160センチ、スラリとしたスタイルで細面。瞳がチャーミングで、紳士から“美人マダム”と賛辞を贈られていたМさん。故郷の両親を心配して、よく電話していたという。しかし、「ロイヤルパレス」を開店した6月以降、「ブラックタイ」に売掛金を入れておらず、その額は1000万円(同約4080万円)に達しているという話もあり、彼女を知る人も首をかしげている。

 表面の華やかさとは裏腹に経済的苦労があったのは事実のようだ。