私もオープンの当日、その資本家の一人でもある「姫」の常連客の義理で開店披露パーティに顔を出した。
「ブラックタイ」という名にふさわしく、白黒のインテリアの洒落たつくりの四、五十坪の店内は、祝の花束と彼女の客で、フロアの部厚い絨毯もみえないほどぎっしりとたて混んでいた。やや暗いめの照明と、やたら黒服の目立つオープニングパーティは、オープニングというより華やかなスターの告別式を連想させる。そういえば今日は仏滅だった、と私はつまらないことを思い出した。
「あら、ママお忙しいのにようこそ」
私の姿を見つけて彼女は愛想よく寄ってきた。
「すてきな花束をほんとうにどうも…、銀座は一年生ですので何かとよろしく」
「とんでもない、こちらこそ」
定石どおりの会話(やりとり)を交わしながらひらりと返した彼女の白い手の甲に、得意満面な今夜の気持そのままの大きなダイヤが燦然と光って輝いていた。同じ席に三分といられずあちこち頭を下げて挨拶をしている彼女の背を、店の片隅で二、三人の資本家(オーナー)達がじっと見守っている。裏話(からくり)を知っている私はふと彼女がとても可哀そうなあやつり人形のように思えた。あふれかえる花束のまんなかで、紙の人形みたいに彼女の両肩と胸と、彼女の幸せがぺらぺらと薄っぺらく透けてみえたのである。
「地獄絵図のごとく、誰の瞼の裏にも生ま生ましく感じられた」
不吉な予感というべきか。事件が起きた後のことを同書はこう書いている。
「今日首が出たそうだ、胴体が見つかったという話題が出るたびに、彼女を知る客やホステスは、まるで自分の身うちがバラバラにされたようにひやりと首をすくめて手足のつけ根をなぜまわした。それほど彼女は良い意味でも悪い意味でも陰影の多い華やかな存在感のある女だったし、猟奇的な殺され方がまるで眼の前に血しぶきをあげて展開された地獄絵図のごとく、誰の瞼の裏にも生ま生ましく感じられたのである」
ほかに両書に書かれているのは次のようなことだ。
1. 彼女は昭和14(1939)年6月、樺太(現サハリン)生まれ、28歳。自称26歳。本名でなく「西」姓を名乗っていた
2. やせ型の丸顔で、顔も体も肉が薄く、その薄さがかえって男心をそそるような和風美人
3. 突然銀座マダムとして登場した彼女を、銀座の女たちは必ずしも好意的に迎え入れなかった
4. 「美人なんて言えないんじゃない。背だって私くらいよ」「すごい厚化粧していたのよ、あの人。だって、左目の周りにアザがあるんだもの。家に帰って寝る時も化粧をとらないんだから」「マダムだというのに、女のコの客をとって自分がナンバーワンになろうとするのね。チップだって、一人でみんなふところに入れちゃうのよ」……。誰一人からも「言い人だった」「可哀そうねえ」という言葉が聞かれないのにはあぜんとするしかない
5. 「ブラックタイ」は彼女の店ではなく、彼女は日給1万5000円(現在の約6万1000円)、ほかに売り上げの5分の歩合がつく、ただの雇われマダムにすぎなかった



