マスコミに鳴り物入りで喧伝された彼女の「化けの皮は案外あっさりと剝がれてしまう」と「バラバラにされたママ」は書く。彼女には同棲していた妻子持ちの愛人(30歳前後)がおり、かなり金をつぎ込んでいたという。読売が書いた、かつての共同経営者への支払いとは、別れたその愛人に対するものだったようだ。

「商売では、がめついの、常識知らずのと人非人みたいにいわれる彼女の裏面の素顔の本音は、案外下らない男にもろい、いじらしさにあった」と同書。そのために「ブラックタイ」などの経営は火の車に陥り、男女関係も絡んだKの融資話にすがりつかなければならない結果になった。「バラバラにされたママ」はMの印象をこう記している。

「二十代の若さで人手にかかって殺されて、なんだか影のうすい女だったなとあとから納得のいく顔をする客もいたが、私の眼には影がうすいより、痩せた背を必要以上にぴんとのばして顎をあげて歩いている姿に、薄幸な女の気迫みたいなものがはりついてみえて、痛々しく映った」

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 思うのは、どんなに欠点や問題がある人間でも、殺されてバラバラにされ、河川敷や森や海に捨てられて、「きょうは太もも」「あすは腕」「あさっては首」などと大々的に報じられなければならない理由はない。それは誰にとっても理不尽であり、この文章で彼女を仮名にした理由だ。

斟酌(しんしゃく)すべき点がある」下された判決は…

 裁判は事件の翌年、1968(昭和43)年2月6日に東京地裁で始まり、Kはうつむいたまま、起訴事実を認めた。公判はスムーズに進み、同年5月4日の論告求刑で検察側は「犯行は残忍極まりなく、社会的影響が大きい。被告には反省の色もない」として死刑を求刑した。

Kは初公判で起訴事実を認めた(朝日新聞)
死刑が求刑された(毎日新聞)

 そして、同年5月29日の判決。最も詳しい同日付読売夕刊の判決理由と主文を見よう。

「無抵抗の被害者を絞め殺し、死体をバラバラにして捨てた犯行は、全く目を覆わせるような残忍非道なもので、社会に不安を与えた責任は重い。犯行は悪質、異常だが、計画的なものでなく、死体をバラバラにしたのも処置に困ったうえでのこと。幼児から満足なしつけも受けず、朝鮮人としての劣等感を持っていたなど、人格形成の過程で斟酌(しんしゃく)すべき点がある」と無期懲役を言い渡した。

判決は無期だった(夕刊読売)

 その後の裁判などの記録は見当たらない。少年Aは家裁送致されたことが分かっている。「昭和元禄」はその後もまだしばらく続いていた。

【参考文献】
▽山口洋子『夜の底に生きる』(中央公論社、1984年)
▽山口洋子『ザ・ラスト・ワルツ 「姫」という酒場』(双葉社、1996年)

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