江戸時代に銀座役所(銀地金の売買と銀貨幣の鋳造を行う役所)が置かれたことから始まった銀座という街は、明治維新後、レンガ街が建設され、「文明開化の大将」として日本の繁華街中の繁華街に。関東大震災と東京大空襲の2度、壊滅的な被害を受けながら、戦後も高級な盛り場としての地位を守り続けた、そこでは戦前のカフェーやダンスホールに始まって、夜の街も華やかに輝いていた。

 1957年に公開された大映映画に『夜の蝶』がある。川口松太郎の小説を原作に吉村公三郎が監督。山本富士子と京マチ子の主演で、京都から銀座に進出してきたクラブのマダムと、もう1つのクラブのマダムのライバル関係を描いた。2人にはいずれも実在のモデルがあったが、「夜の蝶」は流行語となり、以降、ホステスを指す「共通語」となる。

映画『夜の蝶』(1957年)

事件は高級クラブ“最盛期”直前に発生

 雑誌「エコノミスト」2005年4月12日号掲載の「ひとりのクラブママが駆け抜けた半世紀」は、当時81歳だった銀座のクラブママの回想記。1956年に自前で銀座7丁目にクラブを開業して以降、見つめてきた銀座の夜を振り返っている。

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 それによれば、1964年の東京オリンピックを境に、東京の道路が整備され、1966年からは大型設備投資ブームが再燃。1970年の大阪万博まで続く「いざなぎ景気」が始まる。1970年8月、「歩行者天国」がスタート。銀座や新宿が屋外最大の社交場となり、銀座の高級クラブも最盛期を迎える。事件はちょうどピークに向かう時期に起きた。「当時は重工業や電機関係、製造業のお客さまに接待でよく使ってもらった。重役の方だけでなく、課長さんや係長さんが先輩や上司に連れられてよく見えた。お客さまが一日3回転することも珍しくなかった」と振り返っている。

1970年にはじまった銀座の歩行者天国 ©文藝春秋

 そんな上り坂の途中で起きたこの事件の被害者Мのことを書き留めた人物がいる。自らも銀座の高級クラブ「姫」のマダムで作詞家・作家になった山口洋子(2014年死去)。著書『夜の底に生きる』(1984年)の「バラバラにされたママ」の章と『ザ・ラスト・ワルツ 「姫」という酒場』(1996年)で、「同じ銀座の住人であり、マダム同士としても顔見知りの仲であった」(「バラバラにされたママ」)立場から、極めて冷静な目でつづっている。

 描かれた「ブラックタイ」の開店の日の情景が印象的だ(「バラバラにされたママ」)。