法律的には戦争状態だった
さらに記事は「身柄は本人の自由意志で」の見出しで手続き論に触れている。
逃走者がもし日本の官憲に保護されて元ソ連代表部が身柄引き渡しを要求してきた場合、日本側はこれに応じなければならないか、あるいは、被保護者がソ連側に引き渡しの拒否を日本の官憲に要請した場合はどうなのか。日ソ両国間にはまだ平和条約が締結されておらず、法律的には戦争状態が続いているので問題は複雑だが、これについて外務省・下田条約局長は次のように語った。
国際法にもこんなことは規定されていないが、法律的には現在の日ソ間の関係では、ソ連側で身柄引き渡しを要求する権利はない。日本の官憲が仮にその逃走者を捕らえ、事実精神病者であれば、一般の精神病者と同様に収容所に入れて保護を加えることも差し支えないし、また本人がソ連側に戻るのを拒めば、そのまま日本側の保護を続けて差し支えない。要は国交がない以上、本人の希望または、ためになる措置を日本官憲独自の考え方で取れる。
ソ連は第二次世界大戦での対日戦勝国で連合国の一員だったが、1951年9月のサンフランシスコ講和会議では、アメリカがソ連と中華人民共和国を排除。講和条約に調印しなかったため、日ソ両国は国交断絶状態となり、それまであったソ連代表部も廃止された。
吉田茂内閣は退去を通告したが、東京・狸穴の建物に居座ったままだった。ベリヤとはソ連の独裁者スターリンの側近で内務人民委員や副首相などを務め、1953年、スターリン死後の権力争いに敗れて銃殺刑に処されたラブレンチー・ベリヤのことだ。
警視庁の正史である「警視庁史 昭和中編 上」にも、1月27日に元ソ連代表部のサベリエフ部員ら2人が警視庁を訪れて捜索願を出したと書かれており、事実関係に紛れはない。
それにしても翌日の朝刊に載るとは早すぎないか。毎日の特ダネというより、警視庁公安筋がリークした可能性が強そうだ。
「同氏には帰国命令が出ていたともいわれ、帰国後のことに不安を感じて逃亡したのではないかと…」
1月28日付夕刊では朝日が「元在日ソ連代表部書記官、姿消す」、読売が「ソ連、外交官行方不明」と報じたが、毎日はさらに一歩先を行った。
彼はソ連のスパイ? 姿消した元在日代表部書記官
姿を消した元ソ連代表部二等書記官ユリ・A・ラストボロフ氏は、警視庁公安三課・牧野警部が中心となり捜査を開始したが、足どりは全然判明しない。公安三課では、同氏は諜報部員だったらしく、外国公館筋にかくまわれている模様はないと言っている。同氏の人相、特徴は年齢33歳、身長1メートル72センチ、肉付きよく顔が大きい。金髪で額が少しはげ上がっている。服装は灰色背広、濃紺オーバーを着、チャック付きの革の深靴。00863という番号の旅券を持っている。
3年前から単身赴任して来ており、日本語も解し、日本人の間に友人もある模様である。28日朝、元ソ連代表部では、同氏が同部員であることを再確認したが、「一切は警視庁に任してあるから」と、他の質問の答えを一切拒否したが、同氏には帰国命令が出ていたともいわれ、帰国後のことに不安を感じて逃亡したのではないかとみられている。