読売はその後もキャンペーン報道を続行。1950年1月13日付朝刊ではスパイの誓約書の写しを紹介している。志位元少佐もその工作でスパイになった1人で、警視庁に出頭して詳細を供述。警視庁はそれを基に捜査を進めたが、志位元少佐は刑事処分を受けなかった。
読売は、日米両国政府発表後の8月29日付朝刊でも志位元少佐の「自供書」を取り上げている。内容は8月14日付夕刊の記事とほぼ共通だが、警視庁に出頭する直前、自宅から合図の口笛で呼び出され「自殺しろ」と命令されたと告白。「二重スパイではなかった」と強調した。ソ連側との連絡に奇妙な合言葉を使っていたとも。
万葉集の山上憶良が妻子を思って宴席を退出する時に詠んだ「憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ」という歌を、上の句と下の句に分けて符牒にしたという。
始まった「日本人協力者」への捜査
「週刊読売」1981年11月15日号から3回にわたって連載された黒木曜之助「ラストボロフ事件28年目の真実」の(下)には志位元少佐が提供した情報の詳細を紹介している。(1)再軍備関係(2)国内政治(3)朝鮮戦争関係(4)米軍関係(5)その他――。「再軍備関係」だけ見ても「再軍備の現況、保安隊(のちの自衛隊)の編成、装備、配置、教育、訓練、幹部の素質、補充」となっており、情報を基にした彼の正確な分析はソ連側から高く評価されたという。
日米両国政府の発表に合わせて日本人協力者とみられた人物の捜査が始まった。8月15日付朝日朝刊1面3段の記事。
外務事務官ら逮捕 ラストボロフ事件 米軍情報提供の疑い
米国へ脱出した元在日ソ連代表部ラストボロフ書記官のスパイ事件に関連して、警視庁公安三課と公安調査庁は14日午前、外務省国際協力局第一課勤務、庄司宏(41)、同欧米局第二課勤務(当時)日暮信則(44)両事務官を国家公務員法第百条(秘密を守る義務)違反容疑で出頭を求め、取り調べた結果、同夕刻、逮捕状を執行。警視庁に留置した。
日本当局の調べによると、昭和24年初めからラストボロフ氏が失跡した本年1月末まで、庄司、日暮の両事務官は、職務上知り得た在日米軍関係の情報、日米関係の機密情報を1回5万円から10万円でそれぞれレポを通じてラストボロフ氏に流し、2人とも1人当たり100万円から200万円の謝礼を受けていたという容疑である。
日暮事務官は外務省勤務とともに内閣調査室員を兼務していた情報通だったが、同事件の発覚直後に同省を辞めている。
5万円から10万円、100万円から200万円は、それぞれ現在の約29万8000円から約59万5000円、約595万3000円から約1190万6000円に当たる。さらに8月20日付朝日夕刊社会面4段の記事。