文春オンライン

宇多丸×真魚八重子 ヤンキー文化圏の「深みのない犯罪」はシュールで場違いすぎて恐ろしい

オススメの「実録犯罪映画」対談#3

2017/12/03
note

映画は「正しくない人」に寄り添える

真魚 今日は、実際に起こった事件を映画にする意義はやはりあるんだな、ということがあらためてわかって、すごくよかったです。実録犯罪映画から学べることって、たくさんあるんですよね。

 

宇多丸 自分を映す鏡にも、反面教師にもなりますしね(苦笑)。それから、映画は、犯罪を深く掘り下げて見せてくれるメディアでもある。ニュースのように「情報」として伝えるだけでなく、物語化して見せる意義というのは、きっとそこにあります。日常的に酷い事件が起こっていますが、それを報じるワイドショーやニュースなどを見ていても、「こんな悪いヤツ、殺してしまえ」みたいな見方しかされないと思うんですよ。

真魚 確かに、事件の背景は説明されるかもしれませんが、あくまでも「vs.悪」という前提に立ったもので、その範疇を越えることはありません。基本的には、とんでもない罪を犯した極悪人を断罪する、ということに終始する。

ADVERTISEMENT

宇多丸 それでは、罪を犯した人間や、その事件の根っこの部分には、本当の意味では迫れないのではないかな、と。ましてや、そうした事件の犯人になぜか感情移入してしまうような人間の存在する、この世界の不思議には。映画というものは、正しくない人を描くためにこそあるのではないでしょうか。映画だから、物語だから、正しくない人たちの人生に寄り添うことができる。これは、ひじょうに大きなことだと思います。で、このことは、ひいては「他者への想像力」を養うということにも繋がっていくはず。

 

真魚 先ほど話題にのぼった、薄っぺらくて即物的な犯罪が起こる原因の一端には、間違いなく「想像力の欠如」がありますからね。

宇多丸 映画を見たり、本を読んだりするのは、突き詰めれば「他者を知るため」なんじゃないかな、と。その引き出しを増やすためにも、もっともっと面白い作品を探していきたいですね。

写真=山元茂樹/文藝春秋

宇多丸×真魚八重子 ヤンキー文化圏の「深みのない犯罪」はシュールで場違いすぎて恐ろしい

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー