松本清張は小説『点と線』で「社会派ミステリー」というジャンルを確立した。そんな清張作品には鉄道での長距離移動シーンが多く取り入れられていることもあり、「トラベルミステリーの開祖」と呼ばれることもしばしばだ。
「乗り鉄」を自称する元記者の赤塚隆二氏は、作中で登場人物たちが乗った路線を徹底調査し、清張作品に描かれた鉄道シーンを網羅。総移動距離は1万3500キロにも及ぶ「清張鉄道」の広がりを鮮やかに浮かび上がらせた。ここではそんな赤塚氏の著書『清張鉄道1万3500キロ』(文藝春秋)の一部を抜粋。トリックの妙味だけではない清張作品の魅力的な旅情描写を味わう。(全2回の2回目/前編を読む)
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並走する殺害行列車
清張の作品群を大山脈に例えるならば、『点と線』は主峰の一つであり、ひときわ高い。「社会派ミステリー」という言葉が出来るきっかけにもなった。伝説的に語り継がれているのは、博多行き特急「あさかぜ」が東京駅で出発を待つ際、頻繁に発着する2本の乗り場を挟んだ隣りのホームから、特急に乗り込む男女を目撃させるトリックである。
――機械工具商社経営安田辰郎は、官庁に食い込んでいるが、昵懇の仲である某省の石田芳男部長に汚職捜査の手が伸びて来たと知り、その芽を摘むべく課長補佐の佐山憲一を心中に見せかけて毒殺しようとする。心中に擬装するため、赤坂の割烹料亭「小雪」の女中お時との仲を親しく見せる必要が出て来た。
安田は鎌倉の家へ帰る際、東京駅まで見送ってくれと女中仲間2人を連れて、自分が乗る横須賀線ホームの13番線に来る。すると、15番線には博多行き特急「あさかぜ」が停車中で、佐山とお時が話しながら一緒に乗り込むところが見える。13、14番の両線には横須賀、東海道線の列車が次々に出入りするが、17時57分から18時1分までの4分間だけ、13番線があるホームから15番線のホームが見渡せる――
冒頭部分の描写が話題になったのは、時代の先頭を切って走るような「あさかぜ」の魅力を描いたからであろう。まずは速さである。作中でも東京発18時30分だが、博多着は翌日の午前中の11時55分である。急行では、一昼夜かかるのが当たり前だった。寝台中心の列車編成なので疲れも少なくてすむ。仕事をして東京駅に駆け付け、九州に着いてからもひと仕事できる。
掲載雑誌が「旅」であっただけに、清張の筆も旅情を誘う方向に傾いたことは想像に難くない。東京駅15番線は旅の出発点、憧れの場として機能していた。丸の内側から八重洲側に向って、中央、京浜東北・山手、東海道、横須賀の各線となり、15番線は関西以西に行く長距離の優等列車が多数発車していた。サラリーマンたちは15番線を見ては、ふっと旅情をかきたてられたのではなかろうか。
佐山とお時の2人は別々の思惑で「あさかぜ」に乗った。お時は熱海で降り、佐山は博多まで行き、石田や安田からの連絡を待った。「完全犯罪」の謎を解く糸口は食堂車の領収書が佐山の遺体のポケットから出てきたことである。日付のほか「列車番号7、御一人様、合計金額三百四十円。東京日本食堂発行」と書かれていた。心中に向かう最中、男1人だけで飯を食うものだろうか、という疑問を福岡のベテラン刑事鳥飼重太郎が抱く。