昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

オカルトから朝立ちまで、大切なことはシュウゴに学んだ――岡宗秀吾×JxJx×ナオヒロック#2

『煩悩ウォーク』刊行記念、大盛り上がりのイベントレポート

 11月25日、テレビディレクター岡宗秀吾さんが書き下ろした全部実話の青春特盛りエッセイ『煩悩ウォーク』の発売記念イベントが開催されました。岡宗さんの幼馴染であるYOUR SONG IS GOODのサイトウ“JxJx ”ジュンさんと、ラッパーのナオヒロックさんが登場した第1部の後半戦をお届けします。

◆◆◆

渋谷のチーマーが出てきて、「あ、これがやりたかったんや」

『煩悩ウォーク』(岡宗秀吾 著)

JxJx ある日、シュウゴから電話がかかってきて。すごいもったいぶったトーンで「電話じゃ言えないから家に来てくれへんか」と。家に行ったら「衣食住ってあるやん」と。「人間の重要な三大要素や。その中の衣、これは服や」と。「つまり、ファッションや」と。「今から映画を1本見せるから」と言われて、見せられたビデオが『ワンダラーズ』だったんです。

岡宗 ブロンクスを舞台にした、若者が抗争を繰り広げる青春グラフィティ的な映画ですよ。

JxJx 映画を見たあとに「こいつらの着てる服をよく見てみろ」と。『ワンダラーズ』では、チームごとにオリジナルのスカジャンを着てるんですよ。「これを俺たちも作るぞ」と。

ナオヒロック 俺のところにもシュウゴから個別にその話がきたんだけど、俺は映画を見せられてなくて、第一印象としては面倒臭かったよね(笑)。

JxJx 熱意はわかるんだけど、中1ですから小遣いも限られてるし。「これ、いくらかかるんだ?」と。今だったら「いくぜ!」ってなるけど、当時は全然わからなくて。

ナオヒロック でも俺、思い出したんだけど、各々ジャンパーのデザインを描くところまではやったよ。俺、バックのプリントに「japanese parisien」ってロゴを描いた記憶がある。俺は映画見てないからブロンクスの映画って知らんかったし(笑)。

JxJx でもシュウゴは早かったですよ。そのあと渋谷のチーマーが出てきて、「あ、これがやりたかったんや」と、のちに理解ができた。

左から岡宗さん、JxJxさん、ナオヒロックさん

あのとき乗らなかった俺がダサかったんだなって

岡宗 結果、お金がなくてジャンパーが作れなかったことが無念として残ってて、渋谷のアメカジ屋さんで『ワンダラーズ』の復刻ジャンパーが出てるの見つけて、着てみたの。そしたら、楽天ゴールデンイーグルスの監督にしか見えなかった。腹も出てるしさ(笑)。でも俺、今も番組のグッズをすごく作るのよ。俺、番組タイトルを決めるとき「Tシャツにできるか」ってまず考えるもん。

 『BAZOOKA!!!』のスタッフ用のスウェットを作ることになったときも「チャンピオンのボディじゃないとあかん」とか、延々会議で言ってて。

岡宗 全員キョトーンでしたよ。中学のときにオリジナルジャンパーを作れなかった悔しさがずっと続いてるのよ。

JxJx でもあとから、そういうのが大事だってわかりましたよ。あのとき乗らなかった俺がダサかったんだなって。

岡宗 お金もなかったしね。昔、「Columbia」のフィッシング・ジャケットを着るのがヒップ・ホップ界隈で流行ってさ。藤原ヒロシさんが赤のジャケットを着て、「KANGOL」のハットにゴールドのチェーンをつけてさ。ヒロシさんと同じColumbiaのフィッシング・ジャケットが欲しいんだけど、高くて買えないから、俺ら「がまかつ」ってガチの釣り具メーカーの上着買ってロゴを切って着てたよな。でも、がまかつには赤がなかったんだよ。

 魚が気づいて逃げますからね(笑)。