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41歳での出産、流産、夫との円満別居…大家族・石田家のお母さんが語る、現在の心境「今がちょうどいい距離感かな」

「石田さんチ」石田千惠子さんインタビューより#1

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 だけど、10人目は、流産してしまって。それまでは妊娠=出産だったんですけど、43歳にして初めてでした。それが9月なので、その季節になると、今でも心がざわざわしますね。

 

子どもが9人もいるから、稼がなくちゃいけない

――晃さんは当時、茨城から片道2時間半かけて代々木まで通勤していましたよね。育児はほとんどお母さんがやられていたのでしょうか。

千惠子 そうです。今でいう「ワンオペ」ってやつですね。ペーパードライバーだったから車の運転もできなくて。田舎で車が運転できないと困ることばかりなんですけど、なんとか周りの力を借りてやっていましたね。

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 子どもが小さい頃は、休みの日に夫が子どもたちを連れてデパートや公園に行ってくれました。ゲームセンターでモグラ叩きをしたり、肩車して公園に行ったり、とにかく子どもと遊ぶのが好きな夫でした。でもある時からパタッとなくなったんです。

 子どもが9人もいるから、稼がなくちゃいけないでしょ。休みの日までそうやって子どもに尽くしていると、どっかでおかしくなっちゃうなって思ったんでしょうね。もうそこからは仕事、仕事、仕事ですよ。1ヶ月のうち1週間も家にいなかったけど、お金だけは稼いできてくれて、毎月給料日には現金で渡してくれました。やることやってくれていたから、ここまでやってこれたんだろうなと思います。

 

――夫婦の中で、稼ぐのは晃さん、家のことは千惠子さんと役割分担ができていたんですね。

千惠子 それがよかったのかもしれない。だってたまに帰ってきて子育てについてああだこうだ言われたら、たまったもんじゃないですよ。ある意味、家の操縦士は私1人だったから。2人も操縦士がいたら毎日喧嘩ですよ。

 最後の方は、営業本部長まで上り詰めて。全国を飛び回っていましたけど、お金だけはきちんと入れてくれました。

写真=山元茂樹/文藝春秋

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