茨城県在住の11人の大家族・石田さんチに密着した『7男2女11人の大家族石田さんチ!』(日本テレビ系)は、今年放送から25年を迎えた。殴り合いの兄弟げんかや、反抗期の息子と母の壮絶なバトル、お母さんとお父さんの夫婦漫才のようなやりとりなど、リアルすぎる家族の日常に心を掴まれた人も多いだろう。
今回、石田さんチの名物キャラクターである千惠子さん、そして「石田さんチ」のプロデューサーである澤本さんに、石田家がTVに出たきっかけや、プロデューサーに放った言葉、大家族のリアルなどについて話を聞いた。(全3回の3回目/最初から読む)
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出演依頼は「来るもの拒まず去るもの追わず」
――そもそも石田家がTVに出演するきっかけは、なんだったんでしょうか。
千惠子 夫の会社経由で、新聞か何かに出たのが最初でしたね。当時は「子ども8人、父親は茨城から東京まで片道2時間半かけて通う大家族」みたいな感じで取り上げられて。それからいろんなメディアに声をかけられるようになりました。日本全国の肝っ玉母ちゃんを追うみたいな番組に出演したり、子どもの七五三に密着されたり。NHK以外は全て出ましたよ。
――取材依頼は基本的にはOKしていたと。
千惠子 私は来るもの拒まず去るもの追わずなので、TVや雑誌から依頼がきたら、基本的にはOKしていました。よく「お金のためでしょ」とか言われるんですが、そんなにもらえません。あくまでも夫が大黒柱なので。
そもそもメディアに出るようになったきっかけは、夫の仕事関係だったので、夫を立てるという意味でも、そういう依頼は断らずにやっていましたね。
ある雑誌のインタビューで、夫婦別々に質問されるということがあったんです。あとから夫のインタビュー記事を読んだら「こんな風に思っていたんだ」と、夫の気持ちが理解できて、ありがたかったのを覚えています。面と向かって話したら喧嘩になって気持ちが分かり合えなかったけど、ああいう風に別々で取材を受けると、お互いの気持ちがわかったりするものなんですよね。
ただ中には失礼な方もたくさんいましたよ。取材費を自分たちのゴルフ代に使ってしまってお金がないとか、連絡もなしにボツにされてしまうとか。そのうちにこのままだと自分たちが「モノ」としてどんどん消費だけされてしまうなと思って、1年間全ての取材依頼を断ったんです。