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「あんまり目立つ子じゃなかったですねえ。お兄さんの方が目立っていた」大谷翔平も通った“国宝級の輝きを放つ”バッティングセンターの歴史

『日本バッティングセンター考』より #1

2022/03/24
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 小林の“アイデア”を基に、前沢バッティングセンターは拡大していく。地域の会合のためにレンタルルームを、お客さんのお腹を満たすために食堂を、小さい子どものためにバッテリーカー場まで増設した。そして前沢ファミリーランドが成功した秘訣はもう1つ、小林の特殊なキャリアにあった。

「機械ってのはしょっちゅう故障するわけです。そのために東京や大阪から修理の会社に来てもらって、見てもらうだけで、最低でも20万円はかかるんです。

 修理代が高い、メンテナンスが自分で出来ないとなると、自然と閉めていく店が増えてしまいますよね。私の場合は自分で直せますから、景気が悪くても生き残っていけたのはそれが大きいと思います。おかげで年商1億円を越した年もありました」

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携帯電話の登場が転機に

 だが前沢バッティングセンターに、そして、全ての娯楽産業に大きな転機が訪れる。携帯電話の登場だ。

「高校生が携帯電話、特にスマホを持ち始めてから、明らかにお客さんは減りました。やっぱりあれに毎月6,000円お金を取られちゃうと、高校生はカラオケとかバッティングセンターには来られないよね。

 それと、景気が悪くなるにつれて、団体客も減りました。昔は最寄りの駅から10人乗りの送迎車も出してたんですけど、2、3人しか集まらなくなってきてね。お金がなかったら、誘われたって困るもんね。

 それでも1打席100円は崩していないんですよ。街の方だと400円するところもあるみたいだけど、それじゃ子どもは来られないよね。バッティングと卓球は仕入れもかからないし、今はほとんど私1人でやっているから、それで生き残れているんだと思います」

1打席100円のバッティングマシン(著者撮影)

 小林の心意気が響いたのか、今でも子ども達の客足は絶えない。取材中も、常連らしき子連れのファミリー層や高校生が多数訪れていた。そして、あの世界的スーパースターも常連の1人だった。