大谷翔平も常連だった
「大谷翔平もここに来ていたんですよ。出身が(奥州市の隣の)水沢市なんですよね、高校は花巻東に行ったけど、中学の時までよく来ていました。その頃に通っていた子ども達の中では、あんまり目立つ子じゃなかったですねえ。その時はお兄さんの方が目立っていた気がします。本人の素質もあるんだろうけど、日本ハムに入ってからの栗山監督の指導が良かったんだろうなあ」
地元の英雄の後を追いかけて、前沢ファミリーセンターから第2、第3の大谷翔平が出て来ても不思議はない。経営自体は今でも安定している。経営難から閉店を余儀なくされている全国のバッティングセンターのオーナー達からすれば、羨ましく感じることばかりだろうが、そんな小林にも、頭を悩ませている問題があるという。
「私には娘が3人いるんだけど、跡取りが居ないんですよ。せっかくノウハウもあるから、継がせたいんですけど、誰か来ないかなあってずっと待ってるんですけどね。跡取りを募集していることも、よかったら書いておいてください」
やはり後継者問題ばかりは、どんなに知恵を振り絞っても1人では解決出来ない悩みである。だが小林は、一切後ろを向いていない。
「まだまだやりたいことがあるんです。バッティングセンターの上に、ゴルフの打ちっ放しを作りたいんですよ。それからバッティングセンターをドーム化してね、200km投げるピッチングマシンやピッチャーが投げるモニターを設置したい。採算のことがあるからまだ難しいんだけど、やっぱり今もね、ファミリーで来てもらって楽しんで帰ってもらいたいよね」
野球への情熱でバッティングセンターを始めるオーナーが多い中、小林の情熱は競技者というより“エンターテイナー”の気質に近い気がする。前沢バッティングセンターの法人名は「前沢ファミリーランド」、この名前には、そんな小林のプロフェッショナルとしての矜持が凝縮されている。
40年前は少年だった常連が父になり、祖父になっても、子や孫を連れて来て、現在もお客さんが途切れていない。だからこそ個人でバッティングセンター経営を維持できている。そう言って胸を張る小林は、最後に目を光らせてこんな野望も話してくれた。
「フィリピンのセブ島にバッティングセンターを作らないか?という話ももらったことがあるんです。フィリピンにはまだ1軒もないんですよ。私一人ではなく、何人かで出資してやろうかなと思っているんですけどね。日本より税金も安いし、これから発展する若い人達が多い国だから、出来たら凄いことになるんじゃないかって気がしてるんですよ」
“山っ気”の方も、まだまだ衰える気配は無さそうだった。
【後編へ続く】