この仕事を引き受けた時は、違うテレビ局に行った時に違うものでも食べてやろう、と良からぬことを考えていた。がしかし、それも無理だと最初の3日で悟った。スタッフが違うテレビ局にも付いてくるのだ! テレビ局だけではなく、学園祭や文化祭などの場所にも付いてくる。そして寝泊まりは、監視カメラの付いたウィークリーマンション。四六時中ずっと見られている、映画『トゥルーマン・ショー』の気分。本当に参った。清水寺に行った時より参った。
コンビ名からやってきた企画を“おしん”より耐えた
3日目から、スタッフが敵に思えてきた。本来は、スタッフと出演者は、協力して、面白いものを作ろうとする共犯者のはずなのに。毎晩寝る直前に、次の日の仕事の確認などをするのだが、スタッフが質問をしてきても無視するようになった。大人のやることではない。唯一の味方は相方有田だけ。と思ったのも束の間、一番の敵は有田だった。有田は元来好き嫌いが多い。高校時代、一緒に中華料理店に行き、二人とも中華丼を頼んだ。中華井が運ばれてくると有田は私の許可も得ずに、中華丼のメインともいえるウズラの卵を私の丼からパクリ、「その代わりね」と言って、白菜、にんじん、タケノコなどなどを私の丼に入れてきた。単にアイツが食べられないだけ。アイツの丼は“ウズラの卵丼”、私の丼は野菜丼。に早変わり。その当時の有田は、野菜はほぼ全部食べられない。クリームシチュー500杯の時もそれが出た。
この企画は、北は北海道から南は沖縄まで、クリームシチューの名店10店舗のクリームシチューを、それぞれ50杯ずつ食べる、という内容で、食材一つでも残すとひと皿クリアにはならない、というルールだったのだが、有田はクリームシチューの定番の食材である、じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、ブロッコリーを何一つ食べない。仕方がないから、アイツの食べ残しもすべて私が処理していた。要するにアイツが好きなのはクリームシチューではなくクリームスープなのだ。しかも50杯のうちの30杯くらいは私が食べていた。やってられない。そもそも、アイツがとびっきりの笑顔で答えた食べ物から付けられたコンビ名で、そのコンビ名からやってきた企画で、このありさま。あの時の私は“おしん”より耐えたと思う。
自分の肛門に「畑か!」と突っ込んだ
東京のクリームシチューの名店だったか、そこのお店の売りは、クリームシチュー1杯につき、かなり大きめサイズのにんじんと、じゃがいもが半個分ずつ入っている、というものであった。1杯運ばれてくるたびに、有田はそのにんじんとじゃがいもを私の皿に移してくる。ということは、私はひと皿食べるごとに、かなり大きめのにんじん1本とじゃがいも1個ずつを食べることになる。それを30杯くらい。要するに、私はかなり大きめのにんじんを30本、じゃがいもを30個ずつ食べたことになるのだ。