芸人・マキタスポーツさんと、「テレビブロス」でおよそ8年にわたって連載しているコラム(『越境芸人』で書籍化)の担当編集者・おぐらりゅうじさんの対談 第2回。43歳でブレイクしたマキタさんが「芸人は、エンターテイナーからビジネスマンになった」と語る真意とは。(全5回の2回目/#1、#3、#4、#5が公開中)
◆ ◆ ◆
完全に売れたって実感できたのは、43歳くらい
おぐら マキタさんがご自身で「売れた」と認識したのはいつぐらいですか?
マキタ 完全に売れたって実感できたのは、43歳くらいかな。
おぐら だいぶ遅咲きですね。
マキタ 芸能だけでちゃんと食えるようになったのが41歳くらいだから。
おぐら 30代は丸々食えなかったと。
マキタ しかも31歳で嫁と子供もできたし。
おぐら 本の中では、結婚して子供もできたその時期に、芸人としては食えないけど、放送作家の仕事がもらえるようになって、「こういう感じで芸人を辞めていく人も結構いるんだろうな」と書かれてますね。
マキタ 30代も半ばくらいになると、同世代のやつらは10年目とかになってくる。それで俺は昔からの付き合いを完全に絶って、まわりの状況を把握しないようにしてたの。そのほうが自分を洗脳しやすいから。
おぐら とはいえ、メディア越しに同世代の活躍は目に入りますよね?
マキタ それは本当に嫌だった。同い年の海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)が『ボキャブラ天国』で脚光を浴びたりね。ただ、何より悔しかったのはクドカンさん(宮藤官九郎)の躍進だよ。彼も同い年で、舞台やドラマでの活躍はもちろん、バンドでおもしろいことをやってるっていうさ。
おぐら グループ魂は、まさにバンドと笑いをうまく融合させてます。
マキタ 自分と近しい感性で、同じような路線を目指しているのに、もう手が届かないところまで行っちゃってるみたいに感じてた。
おぐら 売れなかった当時、奥様に愚痴ったりはしてなかったんですか?
マキタ してないね。言っても仕方がないことだと思ってたし。
おぐら 奥様はマキタスポーツの大ファンで、『越境芸人』の中でも書かれていたのは、ようやく売れて忙しくなってきたことに対して〈「私のマキタスポーツが世間に取られている」という発想になっている〉って。