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「もっと楽に、シンプルに打てよ」35歳のベテラン和田一浩と落合博満が3年かけて取り組んだ“オレ流の打撃改造計画”

『証言 落合博満 オレ流を貫いた「孤高の監督」の真実』より #2

2022/06/23
note

“打撃改造3年計画”の内容

「無駄を省けということ。基本はシンプルに打てということです。僕の場合はすごいオープンスタンスから足を上げて、スクエアに足が入って打つというスタンスだった。そういう無駄な時間をなくしていけと。落合さんはすごく『時間』について言うんです。ピッチャーがセットポジションに入ってからボールを投げるまで、この“来る時間”を有効に使えという言い方をする。僕は足の上げ方が大きかったり、バッティングに予備動作がすごく必要なんです。

 なので、それだけタイミングを合わせられる時間もないし、いろんなことをしなければいけない時間が長かった。だから落合さんは、準備を早めにして打てる状態をつくる、そのために余計な動きはいらないと言うんですね。『そういうものを省いてもっと楽に打てよ』『シンプルに打て、シンプルに打て』と。僕の場合は、逆に動きをつけたようなバッティングだったので、それをちょっとずつ削っていくという作業でした。いきなりポンとはできないから、3年での完成をイメージしてやっていくことになったんです」

和田一浩 ©文藝春秋

 落合監督は1993年のオフ、導入されたばかりのFA制度を利用して読売巨人軍へ40歳で移籍した。1998年、45歳までプレーして日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)で現役を終えている。和田は35歳でのFA。最後まで超一流の打者として活躍した三冠王は、ベテランになってもなお挑戦を続ける“努力の人”に打撃理論を伝えようとしていた。その指導はいつ何時、どこででも行われたという。

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「試合前、試合後とか。試合が終わってからは結構ありましたね。本拠地の試合が終わってからマシンを打ったり、スイングルームで調整したり、素振りをしたりするじゃないですか。そのときにひょこっと現れて、『ここがズレているから、こうなっている』とか。試合後に打っていたら帰り際に一言、修正点を挙げて『やっておけ』。そういう感じですよね。

 ビジターでも調子が悪くてどうしようもないときは、メイン球場から外れて室内練習場で打っていたのですが、室内ではつきっきりで教えてもらいました。遠征先で宿舎に帰っても、食事会場でもバッティングのことはいろいろ聞きましたよ。たぶん、技術的なことは僕が一番聞いていたと思います」

 食事会場では落合監督から「ちょっとこっち来い、一緒に食うぞ」と呼ばれることがあった。その席上は必ず野球談議。

「落合さんはそういう時間がすごく好きだった。だから、選手みんなで食事会場に行くと、野球の話が終わらなくなるみたいな話になっていましたね。そういうところでバッティングに関する話は一番してもらったかなとは思います。ずっとパ・リーグでやってきた自分の実績だったり技術だったり、ある程度自分では持っているつもりだった。けれど、打者としてのランク的に言えば落合さんの実績に比べて全然落ちる選手だったので、落合さんのバッティングはどういう仕組みなんだろうという興味がすごくあったんです」

 落合監督は、打撃において「小指」を重視していたことが知られる。バットは手のひらの中央で握り、インパクト時に右打者であれば、左手小指からバットを握っていく、というイメージ。剣道の竹刀の握り方とも似ている。和田が繰り返し指摘されたポイントは、「手を先に使え」だったという。

「指一本一本の使い方、その使い方の種類、バットの扱い方、グリップ、力を入れていく方法、ボールの捉え方……。体の使い方について多くのことを言われました。ただ、選手はすべて同じではないので、僕に対しては僕への言い方があるし、ほかの選手に対してはほかの言い方がある。その区別をつけるのがすごく難しいんですが、基本的に細かく腕をこう使え、ああ使えとは言われない。たとえばヘッドを走らせるための足の使い方――『そうするためには、どう体を使うのか』ということですね。感覚的な部分もあります。落合さんは絶対に『手を先に使え、手を先に使え』と言う。『基本的にバットは振り遅れるから、手を先に使いにいくくらいで遅れずに済む』と」

証言 落合博満 オレ流を貫いた「孤高の監督」の真実

山本 昌 ,和田 一浩 ,岩瀬 仁紀 ,川上 憲伸

宝島社

2022年3月15日 発売

「もっと楽に、シンプルに打てよ」35歳のベテラン和田一浩と落合博満が3年かけて取り組んだ“オレ流の打撃改造計画”

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