2007年、中日ドラゴンズの落合博満監督は、日本ハムとの日本シリーズ第5戦で前代未聞の投手交代を告げた。完全試合目前だった山井大介に代えて、守護神・岩瀬仁紀をマウンドに送ったのだ。 

 物議を醸した“非情采配”の舞台裏では、いったい何が起こっていたのか。そして、マウンドに送り込まれた守護神の心境は——。ここでは、『証言 落合博満 オレ流を貫いた「孤高の監督」の真実』(宝島社)から一部を抜粋。岩瀬仁紀が明かした“オレ流”采配の一部始終を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く

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2007年の日本シリーズ第5戦を迎えた中日ドラゴンズ

 2007年の日本シリーズは、負けられないどころか、1人の走者すら許されないような究極のマウンドだった。

 日本ハムとの対戦成績3勝1敗として迎えた第5戦。11月1日、本拠地ナゴヤドームで球団として1954年以来、53年ぶり2度目の日本一を懸けたゲームに臨んだ。

 落合監督就任以降、中日は2004年、2006年にリーグ優勝を果たしたものの日本シリーズでは勝てなかった。しかも2007年はリーグ2位。同年から導入されたセ・リーグ初のクライマックスシリーズ(CS)で、第1ステージは阪神タイガースに連勝、第2ステージは読売巨人軍に3連勝し、2年連続の日本シリーズ進出を決めていた。相手も2年連続で日本ハムだった。

落合博満監督 ©文藝春秋

「リーグ優勝していなかったので、日本シリーズに出て負けたら何も残らないという感覚はすごく強かったですね。だから、絶対に日本一にならなきゃという思いは、今までの日本シリーズのなかでは一番強かったかもしれない」

 王手をかけていた中日の先発マウンドにはプロ6年目の山井大介が立った。

 当時の先発陣は川上、中田賢一(現・福岡ソフトバンクホークス3軍投手コーチ)、朝倉健太(現・中日スカウト)、山本昌(現・野球解説者)、小笠原孝(現・中日2軍投手コーチ)。序列で言えば小笠原と同列の5番手ポジションだった。

 山井は前年の2006年は右肩痛で1軍登板なし。まだ二桁勝利の経験はなく、本格的にマウンドに戻ったシーズンだった。2007年のペナントレースは14試合登板で6勝4敗、防御率3・36。10月7日の横浜ベイスターズ戦(横浜)以来の1軍登板で、大一番の先発を任された。